心を美しく

おはようございます。

昨日は心華寺「みのり幼稚園」の入園式。あいにくの雨でしたが、かわいらしい子供達が両親と笑顔で桜の花と先生達に迎えられていました。子供はいいですね、ちびちゃんは可愛いいですね〜うらやましくなります。
もう一度戻りたいと思ってしまいます、そしてやり直したい、子供には戻れませんが大いに反省してこれからも日々新たにやり直したいと子供達の笑顔を見て勇気をいただきました。そして行く末の幸せをお祈りしました。
昨日お帰りになりました新入社員の皆様ありがとうございます。厳しい管理下の本よくぞご辛抱いただきました。学び、修練は「己の心を美しく」するものだと私はとらえています。人の美しさは「覚悟と心映え」です。苦しい状況、厳しい環境に在ればあるほどこれまでの来し方が見えてきます。
厳しく接しましたことは他意はありません、法、自然そのものだと真摯にお受け止めいただきましたら幸いです。厳しい研修を「真っ直ぐに受けとめていただき」皆様の覚悟と心映えに感動しております。
「心を美しく」。
私はある時期上手下手、出来不出来に心を奪われ己の心を醜くしたことがあります。下手な私、不出来な私でした。だから上手い人、出来る人に劣等感を持ち、心を歪め「物事に真っ直ぐに取り組めなかった」のです。
人間は上手い人、出来る人が立派であって、一生懸命にやっていても下手で出来の悪い人間は認められないのだと、歪み僻んだ根性になりさがっていたのです。
あるとき上手い人出来る人を見ていますと、何も誇ることもなく、威張ることもなく真っ直ぐ素直に取り組んでいることに気づかされたのです。その人は「上には上がいる」ということをさりげなく言ったのです。そして「学ぶ、鍛錬することの本来の意味は己の心を美しくすることだ」と私に「心映え」を教えてくれました。
始めたことは「やり抜く」ことで心が美しくなり、学びや鍛錬の光に照らされて「心が映えるのだ」ということも教えられたのです。
いくら知識を得、修練を積んだところで、上手下手、出来不出来に囚われていたのでは、学問という光、鍛錬という光に当たったとしても「心は映えない」のです。私の心にいくら光が当たったとしても映えない、美しくならないのだとあるとき気づかされたのです。
今夜は「にんげん学」一宮講座、明晩は東京講座です。ご一緒に学び心を美しく知らず知らずのうちに心映えするようになりましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。