何を心に

おはようございます。

「にんげん学」一宮講座ご出席の皆さんありがとうございます。学びは精神を真っ直ぐにして心を澄明にします。それが嬉しいことです。そして覚悟を確かにして潔い人格と為すのが又素晴らしいのです。
昨日読みました衞霊公第15、第6条で弟子の子張が世に出られないことを愚痴り質問した言葉に対しての応えは「言忠信・行篤敬の六文字」でした。
言う言葉に誠があり、行う行いが手厚くうやうやしければ、どこにあっても必ず受け入れられ、これに反し、言う言葉にまことがなく、行いが手厚くうやうやしくなければ、どこに行っても信用されないのだと、孔子は出世云々に答えず、自分の言行を誠実にしなさいと、宜なるかなです。信用されるされないの如何は言中信・行篤敬の六文字だ、と諭したのです。
来月もよろしくお願い致します。今夜は「にんげん学」東京講座、東京地区の皆さん会場でお待ちしております。
「何を心にするか」。
「こころこそ、こころ惑わすこころなれ、こころにぞ、こころ、こころ、ゆるすな」とは沢庵禅師の言葉ですが。まったくもって私たちの心はうさぎのように飛び跳ねて一時もじっとしていません。あちらこちらと目がいったり、気になったりする心が発想を生み出すというのがこれまた厄介なことではあるのです。
自分を表し心を示しているのは「何かを通して表現しているの」です。いわゆる「投影する」投影しているのが私たちの心であり言葉であり行動です。このことを「確かに」すべきです。人様は私たちの「言葉や行動を見て心を判断している」のです。
心は「何かを通して映し出して」います。「心という鏡に何を映し外に映しだしていくのか」です。それを見て人々は「私たちの心を察している」のです。立派な言葉を発していながら無責任な行動は厳に戒めなければならないことがこれで理解されたのではないでしょうか。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。