受け入れる

shibasaijyo2012-04-15


おはようございます。

人生思い通りには行かないものです。だからこそ思いやりと理解が大切です。昨日の素晴らしい花見もあいにくの雨、しかし皆さんの温かい愛情で楽しい時間を過ごしました。ありがたいですね、心が癒される同志に感謝です。
「受け入れる」。
人生を豊かに在りたいと願うのは誰しも同じでありましょう。豊かに在るためには一つには人様との輪を広げることです。そうすることで豊かに在ることが可能です。
では人様とのお付き合いの輪を広げるにはどのような在り方、人様との接し方が必要であるかということになります。
論語、子張第19、第3条に「子夏(しか)の門人(もんじん)、交(まじ)わりを子張(しちょう)に問(と)う。子張曰(いわ)く、子夏何(なに)をか云(い)える。対(こた)えて曰く、子夏曰く、可(か)なる者(もの)は之(こ)れに与(くみ)し、其(そ)の不可(ふか)なる者は之れを拒(こば)め、と。子張曰く、吾(わ)が聞(き)く所(ところ)に異(こと)なり。君子は賢(けん)を尊(たっと)びて衆(しゅう)を容(い)れ、善(ぜん)を嘉(よ)みして不能(ふのう)を矜(あわ)れむ。我の大賢(だいけん)なる与(か)、人に於(お)いて何(なん)の容(い)れざる所ぞや。我の不賢(ふけん)なる与(か)、人将(ひとまさ)に我を拒(こば)まんとす。之(こ)れを如何(いかん)ぞ其(そ)れ人を拒(こば)まん也(や)。」
意は「子夏の門人が交際の道を子張に質問した。これに対して子張が、諸君の師である子夏は、平素何といって教えていたか、と反問すると、子夏の門人達は、私共の先生は、交わるべき善い人であればその人と交わるがよく、善くない人であれば、こちらからその人を拒絶するがよいと申されていました、と答えた。これを聞いて子張は、それは私が嘗て孔子から聞いた教えと違っている。私の聞いた教えでは、有徳の君子は、もちろん賢者を尊敬してこれとの親交を計るが、その一方においては、広く大勢の人々をも受け入れてやるがよい。又能力の優れた人の善い点を嘉し喜ぶが、その反面、能力のない者をも棄てることなく、憐れんでやるがよい、と言うことであった。一体、もし自分が非常にすぐれた賢者であれば、人に対しては、いかなる人であっても、その人を受け入れてやれぬ筈はない。又もし自分が賢者でなかったならば、人の方から自分を拒絶するであろうから、どうして自分の方から人を拒絶する余地があろう。要するに、私の聞いた孔子の教えが、交際の常道であろうと思う、と答えた。」。
いかがですか、子夏の言った言葉は、恐らくは孔子の、「己に如かざる者を友とする無かれ。」(学而)の意の敷衍、子張の言った言葉は、恐らくは孔子の、「汎く衆を愛して仁に親づく。」(学而)という語の敷衍。場合場合の孔子の言葉を、門人がおのおのその性に近いところにおいて体得していた適例であると思います。
この中から私たちは何を学ぶべきかと申しますと、目先の欲や功利的な考えであってはいけないという孔子の教えを観るべきです。己を豊かに高めようとして居れば自ずから来る者は来たり、去る者は去るのです。自然体であることが豊かに在ることの第一なのかもしれません。
靖国神社から内堀通りにすすみ千鳥ヶ淵の残り桜並木を通り遅咲きのしだれ桜をながめ、ここが都会かと思われるような内堀の幽玄な景色、半蔵門桜田門二重橋と、東京駅まで雨の中とはいえゆったりと楽しみ、新丸ビルでお昼、そこにIさんが可愛いお嬢さんをお連れくださりまた花が咲きました。写真は東京講座の美女代表です。
 
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。