弱音も

おはようございます。

昨日の朝6時頃に愛宕寺に入るため心華寺を出ました。昨朝は一昨日からの強風が吹き、日曜日の朝でもあり誰もいない駅のホームで独りたたずんでいました。肌寒さも加え何かしら久しぶりに寂しさを覚えました、何でそのような思いをしたのか分かりませんが、ぽつんと一人取り残されたように。
今までも何かに追いかけられているかのように一人ひた走りに走ってきたのかもしれないと、電車が入ってきて車窓から見えるまばらに乗っている乗客を見て広すぎる空間、京都駅に近づくにつれ乗客が多くなればなるほど寂しさが増す孤独感。しかしその孤独感もやはり祈りが癒してくれました。
「弱音も時には大事かな」。
時には弱音を吐くことも大事かもしれません。人様に吐くことはいけませんが、人生を歩む上に於いて手段が目的になってはいけないと考えるからです。
論語、里仁第4,5条に「富と貴きとは、是れ人の欲する所なり。其の道を以てこれを得ざれば、処(お)らざるなり。貧しきと賤(いや)しきとは、是れ人の悪(にく)む所なり。其の道を以てこれを得ざれば、去らざるなり。君子、仁を去りて悪(いず)くにか名を成さん」。
意は「金持ちになりたい、出世したいと考えるのは、人の常だ。しかし、あくまでも正攻法でそうなるんでなけれりゃ、つまらんじゃないか。貧乏で下積みの生活は誰だって嫌なものだ。けれども、正しい行為をしてなお貧乏であったり、出世できなかったりするのであれば、おおいに胸を張ってそれを楽しもうじゃないか」こういうことです。このようにありたいですね、そうは思いませんか皆さん。
お金を稼ぐというのは、食べるとか、何かを買うとかの目的のためにする手段であり、お金を稼ぐこと自体が目的になってはいけません。出世というのも、企業や会社で何ごとかの使命を成し遂げるために求めるものであって、出世自体が目的となったのでは本末転倒です。
有名になりたいというのも同じです。人が讃える何かを成し遂げた結果として有名になるのであって、有名になりたいために目立つことなら何でもやるというのは売名行為のなにものでもないのです。
孔子は「目的のために手段を選ばない」ことを諫(いさ)めたのです。「結果は後から着いてくる」のです。
信じた道を歩んでいたとしても時には寂しい思いをするときもあります。しかしお金や出世を手段ではなく目的にしているような人は友達や周囲の人に対しいつも「愚痴と不満を言う」のです。目的と手段を間違えている人は友や周囲の人を不満や愚痴のはけ口としか考えない結果人は去り、本当の孤独になるのです。
明日は24日愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」午前10時からです。素直な気持ちでご本尊様の前で心中で弱音を吐けば救いの手がさしのべられます。勇気の炎がきっと燃え上がります。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。