惑わず

おはようございます。

心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」お参りありがとうございます。ご一緒できる幸せを実感、共に歩むことの喜びをさらに知りました、ありがとうございます。
「知」は「知恵」です。知るとは昨日も書いていますが「惑わないこと」です。「知るということ」を確かにしませんと迷い惑いを生みます。
「惑わず」。
今夜は「にんげん学」京都講座、その前に「一日新入社員研修」があります。研修を確かに終えて後「にんげん学」の会場入りをします。
「にんげん学」にご出席の皆さんや研修生の皆さんにお話しますのは上に書きました「惑うことのない人生」としていただくため「知るを知って」いただくのです。
知は「知識を得る」「事を明らかにする」という意味であります。しかし人生を処していく上で最も大切な知は「己を知る」ことです。いわゆる人間関係の中での「身の処し方」。このことが出来ていなければいくら「知識を得ている、事を明らかにしている」といったとしてもそれが「物事、科学であり、無機質なことを知っているに過ぎない」のです。
もちろん、そのような知識の大事は言うまでもありませんが、それ以上大切なことが「心学」です。
知とは「己を修め、まっとうな人間になるための学びを得ること」が知であるのです。いわゆる「己を整える」こと。どのようなことが生じたとしても「うろたえず、惑わない己を造ること」が「知で」あるのです。
教養(知識の豊富な人をいうのではなく、知識を体現し養っている人を指して言う)のある人間は人から知られない理解されないからといって「腐らず」「夢も忘れない」のです。その程度でふて腐れ夢を忘れるようでは社会で役に立つはずもないのです。
大型連休も終え新たな週の始まりです。無心に心清らかにしてお仕事に精進ください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。