比べる

おはようございます。

「小人閑居(しようじんかんきよ)して不善を為(な)す」という言葉があります。全くその通りではないでしょうか。「徳を知らず、つまらない人は閑(ひま)があれば善いことをしない、善いことを思いつかない」ということです。
「比べる」。
私たちの目や意識はどうしても「比べて見てしまう」という特質があります。これは意識があろうが無かろうが人としての特質ですから、無意識であり、誰でもそうだということです。
この特質も学んでいく人と、そうでない人で「後の人格が違って」くるのです。見る、視る、観る、そして察することが「見る本質」にならなければ大きく人生が違っていくのです。
私たちは「ないものねだりをする愚かな人生を歩んではいけません」。いつも書いていますように、「出来ることをやる」ことが「まねる・学ぶ」ことだからです。
子供は「まねて成長」することはよくご存知だと思います。知識とするのではなく「おこなう、まねる」ことが私たちの特質なのです。私は覚えること、知識とすることを苦手としていますから、「行うことに人生の力点を置いています」(故に失敗も多くした、修行中は一番叱られた)。そうすることで「後に話すことや知識を芯から理解できるようになった」のです。
この世の中は自分を中心にして回っています。だからこそ自分を知ることが大事です。「身の程を知る」ことです。自分を知ったとき初めて真実「他と自分を比する」ことができるのです。「客観に近い比較ができる」ようになるということです。
「比は親しむ」とも読みます。私は私の自己確立を日々行っています。ですから「比べる」のです。それは「人様に親しむことでもある」のです。そうすることで自分のためになっていくのです。
まねぶ、学は天性なのですから、素晴らしい人を見てまねない方はないのです。天性を捨て去ったとき人間ではなくなり「小人閑居して不善を為す」のです。
人は命じられれば仕事も働くことも出来ます。しかしその働きが何を目指しているのかで充実した人生と化すか、空しい人生と化すのかの分かれ目なのです。比べるという天性を確かにして、我欲を満たすのではなく、社会の真実の安定を願う高い志を持ち働きたいものです。素晴らしい人を「まねぶ」社会としたいものです。
何ごとも「求めずして得られるものはない」のです。求めるために素晴らしい人をお手本として混迷から脱する社会を実現したいものです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。