いつの季節でも

おはようございます。

新緑はいつの間にか色濃くなり、新幹線の車窓からも田んぼに水が入り早苗がそよ風になびき、キラキラと輝いています。初夏に咲く小さな白い花、菖蒲やアヤメ、カキツバタの紫、上品でありながらその存在感に圧倒されます。私の色はどんな色なのかをふと考えてみましたが、思いつきもしません、やはり美しい緑の木々や色とりどりの花を見る方がいいようです。
柿の葉がやわらかく若緑色に輝きしなやかさを感じさせます。思わず木であることを忘れうらやましく感じる光沢。
「いつの季節でも」。
周りを見ていますと、いつの時季でも輝きを感じます。人もきっとそうなのでしょう。自然を素直に見るように人を素直に見ることができていないのかもしれません。悲しいことなのでしょう、これは、きっと。
御仏は誰でも「仏性(ぶつしよう)」を持って生まれてくると諭します。仏性とは「覚性」です。言葉はいつも漠然としています。言葉は漠然ですが、事実は確かです。木々の輝き、花々の美しさは一瞬で終えてしまいます、しかし一瞬が永遠に感じます。人間もきっと折々に輝いているに違いなく、一瞬の輝きに魅せられるのです。
そう考えたとき周りの自然が素晴らしい色に見えます。先日の明治神宮の杜も雨上がりで若葉の香りが漂い、緑は美しく神宮が自然の力で作り出されたように感じました。いややはり自然の力が作ったのでしょう。
明日は金環食、これまた素晴らしい自然の作り出す輝きなのでしょう。古人は神の仕業だと感じとったに違いありません。自然は全て神の意志を以て作り上げたものなのです。
輝きも美しさも時には永遠であってほしいと願ったときがありました。しかし今は一瞬が永遠だと感じられる、一瞬の美しさに目ざめたことが嬉しいとことだと思えます。
記憶の中に美しさや輝きを閉じこめるのではなく、再びこの輝きも美しさも来たることを思えば愛おしくなります。
御仏は諸行無常を覚れと言われたことが最近になりようやく漠然とですが理解できるように感じています。流れ去るからこそ、消え去るからこそ美しく輝くのだと。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。