疑わず

おはようございます。

毎週月曜日はやはり特別な意識を持ちます。特別な事は何もないのですが、今週もしっかりしなければと思うのです、それがやはり特別なのです。
意識は大事ですね、ただ何となく一日、一週間を過ごすということではよろしくありません。なぜならば確かな目標がないのでは確かな知識も結果も得られるはずもないのです。曖昧な考えからは何も得られません。
「疑わず」。
何かいいことないかなあ〜と誰しもが思っているはずです。いいことないかなあ〜と思って成っていく人と成っていかない人との違いは何でしょう?、それは「疑いの有る無し」です。
荀子(じゆんし)」に「疑を以て疑を決すれば決必(けつかなら)ず当たらず」と。意は「あやふやな根拠にもとづき、あやふやな心によって判断を下せば、必ず見当はずれな結果が導かれる」、ということです。
これは、正しい決断を下し結果をだすために、まず第一に十分な情報と、知識と目標がなければならないというのです。情報がまちまちであやふやだったり、信頼できるデータが乏しかったりしたら、的確な判断や、知識を生かすことができず、結論が得られないのです。得られないと云うよりも得られるはずがないということです。
また「事物を観察するとき、観察者があれこれ疑い迷っていたのでは、事物をはっきり見定めることができない。自分の考えが定まらないのでは、是非善悪をきちんと判断することができないのである」とも語っています。
まさしくこの通りではないでしょうか。その後に「結論が見当はずれであるかぎり、思わしい成果のあがるはずはない」と断言しているのです。
「疑を以て疑を決する」愚かな人生はよろしくありません。自身でハッキリとした目標を立てない限り疑って人生を歩んでいるのと同じだということを理解すべきです。
何かいいことないかなあ〜などと曖昧な考えでいるのは疑っているのと同じなのです。己の人生に良い結果をもたらさないことは由としても、疑って世間を見ているという自覚も無しに事が上手く行かずに世間を疑い人を疑うようになることは人として感心しません。
今日は自然の神秘「金環日食」宇治は晴れ間もありますのでお勤めを終えた後に拝みます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。