流れる

おはようございます。

万物は常に変化で成り立っています。それがどんなに価値あることに思われても、そこに執着し止まっていたのでは新たなものは生まれませんし花も咲かず果実も実りません。春の暖かい季節が永遠に続かず、秋の爽やかさも同じ事です。
生あれば滅あり、滅あれば生あり。明日は第一日曜日、心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。辯財天様は福徳の神。「財と名誉と地位と健康をお授け下さる」。流れて止まることを知らない生成変化を常とする水神様です。
「流れる」。
天地自然の万象は一瞬といえども停止しません、刻々と新しい様相が展開され、絶えず創造的な神秘がくりひろげられてゆくのです。停止しない故に様々な物に活力を与え繁栄し稔りを与えます。水の柔軟性の力(徳)が大きな力を発揮するのです。
素晴らしい水でも止まり流れなくなってしまえば腐りよどみ、他を生かす水が他を破滅に導くことになります。滅することは真理ですが、生の無い、繰り返しのない滅は滅ではなく「死」です。
川の水は朝に流れた水と夕に流れている水はまったく違った水です。水は低い所へと川を下り「力を発揮する」のです。水の徳(力)を発揮させるためには「身を低くする」ことで発揮させることが可能なのです。
私たちが日々頭を垂れ祈るのは、ご本尊様の徳を確かに知ればこそ身を低くし祈り、願いをかけるのです。その結果過不足のないご利益を得て楽しく日々を過ごすことができるのです。ご一緒に祈りましょう。辯財天様の大いなる徳をいただくために。午前10時からです。
最高の生き方をしたいなら水に学び祈ることです。水はどのような器にも合わせ、あらゆるものに利益を与え、つねに人のいやがる低い位置を求め、それでいて時には濁流となり巌も砕く。いつも柔軟でいつも自由自在、だから人と争うことがなく、あるのは協調協力、そして繁栄です。
水は下に流れながらいつも多くの物に生命と活力を与えるます。これは正しいことであり、真理であります。ゆえに当然のこととして繁栄はもたらされるのです。正義(思いやる行動)は栄え、不正義(我利我利亡者)は滅亡するのです。
どうです、水に感謝し祈るべき事がわかるでしょう?。私たちは切磋琢磨することはあっても争うような無駄で愚かな人生を送ってなりません。祈る者は確かに現実を見据えているからこそ祈るのです。
写真は鳥居をくぐって右側に咲いています「山紫陽花とキンシバイ」です、明日は自然の造化の妙も楽しみにお出かけください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。