心身が豊かに

shibasaijyo2012-06-03


おはようございます。

人生の夢を叶えるのに大切なことはいつも書いていますように「身近な人、身近な物事を大切にすること」です。遠くに行くには近きよりです。人生は身近なことで先ず喜怒哀楽を感じ、感情の存在を自覚し、そして使命、天命にも目ざめ学ぶのです。
私が「福徳の神、辯財天信仰」に入った理由はいとも簡単なことで、幼少の頃貧しかったからです。しかし貧しくとも「働けば豊かな心になることを知ったのも」貧しかった故両親から学びました。物質的には貧しかったが楽しかった。なぜかと言いますと手伝うことが嬉しかったのです。だからこそ長じて物質的にも豊かになるべきだと考えるようになり比叡山でまじめに働く者に力を与え、ご利益を授ける「辯財天信仰に出会った」のです。
「心身が豊か」。
理性と感情は親から授かった素晴らしい人間の特質であり喜ぶべきことです。感動しますと考える喜び、行動する喜びの一生となります。貧乏を嘆いても暮らしは良くなりませんが、働いて生産すれば生産しただけの果報が得られる喜びを得ます。又得た物がたとえ少なくとも分かち合えば何倍もの喜びを実感するのです。心の喜びは財物を得るよりも優れ、創造の喜びは充実した人生をもたらします(創造とは固定概念の打破であり、新たな価値観を作る事であり、最初は困難に遭遇する)。
辯財天様の眷属は「蛇」。蛇が成長するには脱皮しなければ成長できません。そしてジグザグに蛇行し進むのです。川は蛇行することで大河となり、蛇行することは大を成す前兆と考え喜びさえ感じます。
辯財天様は水。水は人や物が喜びこそすれ水自身は喜ぶことをしません、他者の喜びを喜びとしています。そのことを知った私たちはその偉大さに喜ぶのです。そして勇気と希望を得るのです。私たちはそこに生かされていることに感銘するのです。
共存共栄が自然の習い、人様の事を思い働けば必ずや素晴らしい果報が得られ、その喜びにさらに辯財天様は「感応し力をくださる」のです。懸命に働く多くの皆さんに過不足無く果報を与えて下さるよう私は日々祈るのです。
今日も皆さんとお祈りが出来ることが幸せです。祈る道で出会った縁は摩訶不思議な力があり、道の縁は無窮です。いわゆる窮まりがない、永遠の繰り返しの繁栄のために人、物の良縁がもたらされるのです。
苦しみを感じ分かち合う喜びを知った素晴らしい道を歩む人は多くの人に幸せをもたらしたいと考え、故に道を歩む人の前には窮まり無く素晴らしい助け合う、分かち合う人々が現れ故に道は無窮となるのです。
辯財天様を信仰する者にとりこれほど心強く勇気が得られることはないのです。ご一緒に祈りましょう。午前10時からです、お待ちしております。
窮まり窮する人は、周囲の人の事を考えずに我利を思い窮まるのです。何故にそのような愚かで誤った考えと行動を起こすのでしょう。生かされているという事実が見えていないからです。生かされている現実を知れば人様の為に無心に生きることが出来るのです。共存共栄が辯財天様の教えなのです。
私は物質で心を貧しくした人を多く見てきました。しかし物には出来不出来があります。そのようなことで一喜一憂し心を貧しくするのではなく、確かな祈りという道、他者を豊かにする祈りの道を歩めば物質で困窮するような事態を招くことが無くなるのです。ここにこそ金港辯財天様の本懐があるのです。
明晩は「にんげん学」京都講座、老子講義です。老子も水に学べといいました。又「上善如水」とも。
今日の赤い小さな可愛い花は「石榴(ざくろ)」です。上手く撮れませんでしたが次は石榴の実をお届けします。琴音門をくぐって右側に咲いています。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。