見識

おはようございます。

昨夕までの一泊二日「中間管理職研修」で入山の皆様お疲れ様でした。初めての体験、新たな創造のきっかけをつかんでくだされたことと思います。人生、惰性が一番よろしくありません。外の刺激がありながら思考を停止することは感性を持つ人間ではなくなります。動いて已まざる社会の中、情報をキャッチし人様のお役に立つことをクリエイトしなければ滅亡が待っているだけです。
自然の木々や花々はどのような状況の中にあっても人を楽しませ花を咲かせ実を実らせています。その事実を目の当たりにしている私たちはどう在るべきなのかが見えてくるはずです。今朝も小鳥たちが元気にさえずっています。
水子供養祭」におまいりの皆さんありがとうございます、お喜びです。来月又おまいりください。
「見識(けんしき)」。
私たちは「正しいものを見分ける」ことが大切。昨今簡単なことでだまされてしまう人が多いのも悲しいことです。
そもそも人間というものは私を含めて物欲が強く、好色で嫉妬深く、見栄っ張りの嘘つきで、手前勝手な権力主義者であり、ありとあらゆる悪を持っています。そうでない人なんて、めったにいるものではないのだ?、と思っています。
そうした悪い心の程度の差、すなわち内なる悪心を抑えて、少しでも自分自身を向上させていこうとするならば、しっかりとした価値基準が生まれ、正しいものを見分ける目を持てるようになります。
たとえ今は枯れて葉が落ちている一本の木も、大地にしっかりと根を張った木であれば、やがて季節が巡ってくれば見事に繁り、花を咲かせ、果実をつけるに違いありません。
また逆に、今はどれほど枝葉を繁らせ、美しい花を咲かせていても、その根が腐りかけていたり、脆弱な土地でしっかりと根を張れないような状況であったならば、やがてその木は朽ち果てます。表面的なことに惑わされず、土に埋まって見えない部分を見ることで、本質を洞察することができるのです。
これは人も同じです。表面をいくらきれいに飾っていても、心の中が腐っていれば、それがやがて表に出てきて、腐臭を放って誰にでもわかるようになるものです。
志というのは欲望に極めて近いものです。時には欲望と志とが完全に重なり合う場合もあります。例えば、物質的な豊かさを追求するという志は、むしろ欲望そのものといっていいかもしれません。それを欲望から分け隔てるものは、精神性以外にはないのです。志と欲望、それが露呈した例を挙げれば、バブル崩壊で噴き出した、政治家たちのスキャンダルや、あっという間に消え去った事業家たちです。
明日は「にんげん学」大阪講座、大地にしっかりと根を張る「心根」を学びをしましょう。会場でお待ちしています。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。