空っぽ

おはようございます。

「にんげん学」大阪講座梅雨空の中ご出席ありがとうございます。秩序、仕組み、ルールの中にある私たちですが、一人居るときは老子的、自然な在りようを思うことも大切です。そうすることでゆったりと大らかに過ごせるのではと思っています。正しい心の遊びです。
孔子の説く道の概念と老子の道とは違いますが、孔子も「楽しむことは最高の境地」だと言っています、こんな表現です。「道に志し、徳に拠り、仁に拠り、芸に遊ぶ」(述而第7、6条)。
学問などをするには、まず志を立てなければなりません。これが「道」です。次に、根本にすべきものを定めなくてはなりません。これが「徳」です。道を進むにあたって、頼りにするものが「仁」です。そして最後に、自由に遊び楽しむことがなくてはいけません。これが「芸」です。学問や道徳を極めた人間が、もう一つ上の境地を知るとしたら、それは、無目的に楽しみ味わい遊ぶ世界だと孔子は言うのです。これなどは老子の道に近いものかもしれません、真理は一つなのでしょう。
「空っぽ」。
時には頭の中を空っぽにすることも大切です。パソコンを打つ目の前は窓、顔を上げると空と木々、竹藪が。時折私はボーッとします。そして数分何も考えられない、この感覚が好きです。
そうするとあれこれと思い煩うことがなくなります。思い煩うことが小さくて些末なことと思えるようになるのが不思議です。自然とはありがたいものです。そんな思いをしますと人様に対する言葉や態度が穏やかにしなければいけないと素直に反省できるのも不思議です。怒っても何もならないのに、何もならない以上に自分も相手も傷つけてしまうのにと。
そんなことを考えていますと上手くやろうなどと小手先のことを考えず、無心に精一杯やることがいいのだと素直に思えてくるのです。問題が起きれば人様は親切です、注意も叱咤も下さる。それを素直に手直しすればいいのだとも。少しの知識で正義面をして反発するからややこしくなる。
自然は暑さ寒さ、風雨にもじっと絶え、四季の移ろいも受け入れ、我で物事の善し悪しなどを考えず、不平不満も言わずに立派に成長している。老子は全てを天意と受け止めたのです。
私たちはなかなか客観的に自分を見ることは出来ません、だからこそ自然体で外から見られた意見も素直に耳を傾けることで更なる進化と成長があるのではないでしょうか。僅かでも老子的在りようも大事だなと今朝は窓の外を見て思いました。
人生は「独りでいる空間も大事」、それがなければしっかりとした「思考の確立など無理な話」だと考えるのは私一人ではないのでしょう。老子はきっと孤独の中に人生の偉大さを楽しんだのでは無いかと考えてもします。昨今の人たちの心の余裕の無さを思いますと、なにか目先のことで役に立つことばかりを考え苛立っている、かわいそうにさえ思うのは私の傲慢でしょうか。
みなさん大いに無駄な学びもしましょう。賢いと考えることは悪いことではありませんが、そのような生き方はしんどいのではないでしょうか。
講座へご出席の皆さん来月もお会いしましょう。分別を捨て去り取り組む人生もきっと味なものかもしれません?。
今日午前10時から50名の一泊二日「管理職研修」があります。しっかりと管理された中での心の自由を持ち状況に応じた判断で行動ができるお話をさせていただこうと思っています。研修生の皆さん、気をつけてお出かけ下さい。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。