捨てる

おはようございます。

昨日書きました布施波羅蜜は「捨てる」ことでもあります。捨てるといいますと乱暴な言い方ですが、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、という俗諺もありますように、一旦譲り己を忘れず行動そのものに喜び生き甲斐を感じることに目ざめることです。
では捨てる心境を見いだしたから苦しみが無くなるのかと言えばなくなりはしません、なくなりはしませんが、苦しいことに執着しなくなるのです。苦しいことにばかりではなく楽しいことにもこだわらなくなるのです。
苦楽にとらわれず、一瞬一瞬楽しみ味わう心境となるのです。私たちは懸命に生きています。懸命に生きればこそ得たものに執着心を起こさず生きることです。懸命に生きて得る喜びを喜びのままに終わらせるべきです。
得た物、それを失わないようにと生きたときから苦しみの一生を生み出すからです。
「捨てる」。
得ることを知ったならば、それは過去のこととして新たにやり直すことの大事を知ることです。自然は全て一からのやり直しをしいつもイキイキと繰り返しているのです。だからこそそこに命が躍動し魅力を感じるのです。捨てることを知りますと、生かされていることに感動するのです。
私たちは生かされています。悩みや苦しみを繰り返す人は生かされていることの感動を知らないのではないでしょうか。仕事一つ、食事一つ全て与えられたのです。そして命があるのです。一つでも人間が作りだした物など在りはしないのです。
それを先人はリアルに科学して繰り返しながら新たな生命が脈々とつながっていくことを知り、その徳に報いる感謝の存在を知ったのです。
物事を知り誇り威張る執着する人生ではなく、作る喜び、人様の役に立てる喜びこそイキイキと日々過ごせるのです。
執着がなぜいけないのかといいますと、自分を誇れば他人を否定することになるからです。否定からは新たな何物も生まれては来ないのです。人様を否定するならば、慢心するならばより以上の物を創造すべきだからです。
創造性を失うことは死を意味し、自己否定を意味するのです。得た物は捨てる、難しいことかもしれませんが、昨今の停滞はあれも欲しい、これも欲しいという執着心から生じているような気がしてなりません。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。