不敬

おはようございます。

台風4号の被害が各地で出ております。皆様には心よりお見舞い申しあげます。5号がまた来ていますので心配です。ひたすら無事を祈りましょう。
誰しも過失を犯そうと考えていませんし、犯そうとして行動もしません。しかし過失を犯す、そして過失を繰り返す人がいます。では過失を起こす原因は何なのでしょうか、また成功を考えながら成らないという人も多くいます。
事の成功、不成功は過失を犯すことと同じく必ず原因があります。ただ単に思いが強いから成功するのでもなく、弱いから失敗するのでもなく、要は道理に沿っていない故です。情は大事ですが、感情論では上手く行きません。
自分の思い、感情が一番正しいと思うのは当然ですが、人の意見を聞きいれないような強すぎる人は人を敬う、尊敬することをしない傾向の人です。それは自分の都合の良いことを聞きたい、学びたいという勝手気ままな心、無意識でもあるのです。そのような不敬な思考行動が過失と失敗を繰り返す人生とするのです。
「不敬(ふけい)の恐ろしさ」。
佐藤一齊の「言志後録(げんしこうろく)」に「過(か)は不敬に生ず。能(よ)く敬すれば則ち過自(かおのずか)ら寡(すくな)し、儻(も)し或いは過(あやま)たば則ち宜しく速(すみやか)に之を改むべし。速に之を改むるも亦(また)敬なり。顔子(がんし)の過を弐(ふたた)びせざる、子路(しろ)の過を聞くを喜ぶが如きは、敬に非(あら)ざる莫(な)きなり。」
意は「過ちは、自分を慎まないことから起こるもので、よく慎んでいれば過ちは自然に減ってくるものである。
もし、過ちを犯したならばすぐに改めるがよい。これもまた自分を慎むことである。孔子の高弟の顔回が同じ過ちを繰り返さないことも、同じ弟子の子路が過ちを指摘されるのを喜んだのも、すべて己を慎むことである」。
「過ちて能く改むるは、民の上なり」という戒めがあります。つまり「過ちを犯して改めることのできる人は、民を治めることのできる人間である」の意です。民の字を社員とすれば会社経営にも通じます。
一時の成功で没落する成り上がりの経営者はガムシャラに仕事をして自分の力だと勘違いして人様や教えを敬する心を持たず傲慢になってしまいます。それは自分を慎む心の弱さに原因があるのです。だから人の教えや注意を聞き入れたがらない。故に困っても自分一人の力で乗り切れるという思い上がりで身を破滅に追い込むのです。
過ちを繰り返す人の多くは「やったらできる」という何の根拠もない慢心と、自惚れで自滅します。それもまた不敬の成す現実です。人生の成功を考えているとするならば先ず敬すること、そして注意されたら素直に修正することです。その行動は最も大切な敬の心です。敬する人を心を持たないことはある意味で不幸な人生なのかも知れません?。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。