蘇る力

おはようございます。

愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」足下のお悪い中おまいりいただきありがとうございます。強い雨でしたので被害が出ないことをお祈りました。
水引、御簾、幡が新調された中で皆さんとご一緒にお祈りができたことは生涯忘れません、新たな記念日ができましたありがとうございます。これからもご協力をいただきますよう。
皆様方から寄せられました添え護摩木に書かれた願い事、必ずやご本尊様はお聞き届けくださいます。毎月添え護摩祈願をお続けください。継続、繰り返しの中にこそ繁栄があり祈願成就があります。
私は自分だけの記念日を一杯心の中に持っています。それだけお世話になっているということです。一人思い出に耽り静かに思い出し笑いするのです。幸せが心の中にジワリと蘇るのがたまらない。そして勇気と新たな希望が湧きます。
M&Uスクールご出席の皆さんありがとうございます。学ばれたことを一つ一つ実践し積みあげてください。ご活躍をお祈りいたします。
「蘇る力」。
思い出すことは過去に執着したり、栄光よ再びということではありません(もっとも栄光、スポットライトを浴びたことはないのですが、できることならば一度味わってみたい)、私は小さくとも一つの結果を出した場面から前後左右に「敷衍、展開する」ということを常としています。一つの軸から枝葉にして展開し新たな軸を作るのです。
過去にあったものを無かったもの、消去、リセットできるのも私たち人間であり。よかった事を楽しく伸ばし生かすことのできるのも私たち。
何も根拠もない所から始めたとしても一からやり直しではせっかく一つずつ積みあげてきたことが無駄になるからです。成功からも失敗からも教訓とできるのが私たち。成功と失敗どちらが多いかといえば書くまでもありませんが、当然のこと失敗です。しかし道を歩む者は失敗とはとらず、新たな気づきととらえます。
失敗をコンチキショーと思ったとしても、そのような怒りは長く続かず、虚しさが残るだけ、続くのはやはり楽しいこと。
それもジンワリと思い出す苦労の末達成した喜び。その喜びは苦しさと嫌なことを乗り越えた結果、そう思っただけで力が湧くのです。
私には長くお付き合いさせていただいている人が多くいます。その人たちの共通項は「学んでいる人」。これは私の私見であり独善的見解ですが、学ばない人はだんだん面白味に欠けるのです。だから記憶からも消えお付き合いもなくなるのです。そのようにならないためにも学び続けるべきだとしみじみと思うのです。
力が蘇るのは「飽きない」ということが重要なポイント。それには学び続ける、続けますと言語行動に深みが出て、気配り、気づき、ヒラメキが冴えて話題に飽きが来ないのです。
学ばず進化しない人は飽きてくるのです。なぜかと言いますと学ばない故愚痴と不満と不平だけだからです。学ぶ人とはいつまでも切磋琢磨できて新鮮、新しい発見があり楽しいのです。
明晩は「にんげん学」小倉講座、九州地区の皆さん会場でお待ちしております。懇親会に出る食事が今から楽しみです。その前の勉強会はもっと楽しみ、何かとってつけたような感じです。食いしん坊である私は花より団子でもあるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。