足を知る

おはようございます。

今夜は「にんげん学」小倉講座、私が日々祈り学ぶのは自分を大事にするからです。なぜ大事にするかといえば、それはいろいろなことを人と共に感じ楽しむことができるからです。喜怒哀楽に真摯に対する、この四つはどれ一つ欠けても人生の味わいはありません。喜びだけ、怒りだけ、哀しみだけ、楽しみだけばかりの人生など在るはずもなく、この四つがほどよくミックス(程よく行かないことが人間を作る)、混じり合ってこそ味わいが深くなり、人間性を豊かにするのです。
自然に春夏秋冬が巡り全てを育むように。それが分かっていながら何も対策をしないという人も多くおられます。このようなことはまったく持って不思議としかいいようがない。
昨日も書いていますが、真実楽しい人生を送っておられる人とのお付き合いは喜怒哀楽に於いてそれを味わっている人です。いいとこ取りするような厚かましい人生とはしていない。
「足を知れば」。
「分(ぶん)を知り、然(しか)る後に足(たる)を知る」ことが人生を充実させ楽しく味わいのあるものとするのです。どういうことかといいますと、「自分のおかれている立場を知れば、過分なことは望めないし、天が自分に与えた器量がわかれば、現在に満足することを知る」。ということです。
韓非子」に、次のようなことが書いてあります。「中国の斉(せい)の国王桓公(かんこう)が宰相の管仲(かんちゆう)に「富みに限界があるか」ときいた。管仲は答えた。「水の限界は水のなくなるところ、富の限界は、それに満足するところにありますが、人間は、これで満足するということを知りません。それで富みも失ってしまいます。ここらが限界といえましょうか」。
これは2500年も昔の話です。バブルで失敗したにわか成金は、富の限界を知らなかったわけで、限界を知らなければ何千年後でも失敗は繰り返すのです。賢者は歴史から学びます。賢者はオレは間違わない、失敗しないなどと嘯(うそぶ)かないのです。
このような中国の古諺もあります「椀のものを食べて、鍋の中を見る」(まるで私のためにあるような諺です)、漫画のような言葉ですが、今でも拝金主義者がやっています。「蝦蟇(がま)が白鳥の肉を食べようと思う」というのもあります、分不相応な欲望を持つたとえです。ニセ資産や偽装の債券を作って世間を騒がせているAIJのような輩です。これらは人間の姿をした蝦蟇のしわざです。
人間の皮をかぶった蝦蟇を見抜くためにも「心学」を学ぶべきです。このような言葉もあります。「昨(さく)の非を悔ゆる者は之れあり、今の過を改むる者は鮮(すく)なし。」。意は「過去の失敗を後悔する人はあるが、現在やっている過ちを改める者は少ない。」。孔子も「過ちを改めざるこれを過ちという」と。
同じ過ちや失敗を何回も繰り返さないために「今を学ぶ、リアルな今を感じる心学」を学び己を修め戒める習慣を身につけること。一瞬、瞬間を逃さずに改められる己に目ざめましょう。会場でお待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。