表裏

shibasaijyo2012-07-10


おはようございます。

「にんげん学」京都講座ご出席の皆さんありがとうございます。だんだん京都特有の暑さになってきています、お大事にお過ごしください、来月もお会い致しましょう。
「表裏」。
勉強会の日が近づきますと皆様にお会いできるのが楽しみになり、会いますと次の会える日までが長く辛いものです。お釈迦様が説かれました「愛別離苦(あいべつりく)、会者定離(えしやじようり)」の理は幾つ何才になっても覚ることがかないません、しかしやはり再会できることを楽しみに一ヶ月情熱を傾け勉強することができるのも出会いがあってこそです。
どんなことでも表裏で一つ。苦楽、上下、左右、陰陽、明暗、貧富、相反するものがあって一つ。苦しみがなければ楽しみもなく、別れがなければ再会する喜びもない。上下左右もこれまた同じです。一つであるものを二つの言葉で表現しているだけのこと。一日といえば昼も夜も、曇りも晴天も、雨や嵐、寒暑あっての一日、一生も同じことです。
どちらかに偏ってしまうと悩み、苦しみとなり、確かに物事を見て対応すれば情熱とできるのです。だからこその「にんげん学」です。
菜根譚前集、42条「彼は富もてせば我は仁、彼は爵もてせば我は義もてす。君子は固(もと)より君相の牢籠(ろうろう)する所と為らず。人定まれば天に勝ち、志一なれば気を動かす。君子もまた造物の陶鋳(とうちゆう)を受けず。」。
意は「相手が財物をちらつかせて迫るなら、こちらは仁(慈愛)の心で応じる。相手が栄誉を餌に説得に来るなら、こちらは義(正義)の心で応じる。
君子は、高位の者から富や権力を示されても、束縛や籠絡されることは決してない。心の軸が定まっていれば天に支配されることもなく、意志が確立していれば何ものも恐れぬ気概が発揮できる。
君子は、外から型にはめられることはなく、自分の意志を貫くことができるのである。」。
人間として、名声や利益にこだわる小人に勝るのは、自分の人格を保ちながら利害得失を正しく見抜く一方、様々な欲望から超然としており、名利の誘惑に乗らず、権勢にも屈しないからなのです。
今日の多くの人にこのような気概に目ざめていただきたいと願って「にんげん学」を淡々と進めています。いつも書いていますが、君子とは立派な人間という意味ではなく、志を高くして歩んでいる者を指して書いています。私の君子という概念は立派な人はもちろんですが、仁道を現在進行形で歩んでいる人間を指しているのです。
写真は懇親会で毎月お世話になっています「洋食ぼんじゅーる」さんの前菜「信州牛のたたき」です。きのうはあと三品美味しい料理が出ました。マスター毎月ごちそうさまです。


世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。