日々の繰り返し

おはようございます。

昨日は7月11日でしたので心華寺ご開山「法興心院華光一栄法尼」、故・長澤一栄師の祥月命日でした。偶然とは考えていないのですが、生母も月は違いますが11日がやはり命日。物忘れの多い私を憂え生母と法母は同じ日に遷化してくれたのだと墓前に額ずき感謝しました。
そして法母が好きだったことを思い出し「ミスド」をお供えしお下がりをちょうだいしました。私が食べたかったのかも知れません?がね?!!。
何かもっと高価なお供えはなかったのかという声が聞こえそうです。さにあらず法母がなぜミスドが好きだったのかの最大の理由は「おまけ」にあったのです。おいしいドーナツを提供する上におまけがついてくるという、そこに感激していたのです。
そして私にいつも教えてくれていたのです、事をやったら必ず「プラスアルファが大事やで、そこが人生のコツで要や」と。妙な説得力がありました。頭だけ下げながらモグモグと口を動かしていた私を思い出します。何せ私の飢餓時代、食糧難時代の話です。
「日々の繰り返し」。
少年時代学校の成績が悪かった頃のこと、繰り返すことが嫌で嫌でたまりませんでした。なぜかといいますとできないことを繰り返す苦痛からです。中学校へ入りあることで「繰り返しの凄さに気づかされた」のです。
中学時代に私は人に勝てないことを覚りました。そしてこれまで人に勝とうとしない人生を歩んできました。一つのことができたら次へ進もうと考えたのです。一つのことができないうちに次に進まないというやり方です。
できたらということも、人よりも上手にということではなく、自分なりに、ということです。そして精一杯同じ事をコツコツと繰り返し行ってきたのです。そうしましたらなぜかわからないのですが、周囲の人々が指示を与えてくださるようになったのです。
何も上手にできたからというわけではありません、他の人と比べましたら非力であることは当然ですから、他の人と比べて指示をしてくれているなどという思い上がりも自惚れもしませんでした。
そんな思いで繰り返し行い今でも歩んでいます。そうして周囲を見渡してみましたらありがたいことに共に歩んでくださる多くの人の存在ができているのです。
昨日二人の母に器用に生きるなどと考えてはならんよ、と頭をなでられたような気がしました。そして、無い物ねだりもしたらいかん、ゆっくりでもいいから自分の足で歩いて行けとも言われたような気もしたのです。一に感謝、二に感謝、それだけだぞ、という声も聞こえたような気がしています。
また今月31日は愛宕寺ご開山「大善心院全信法尼」の祥月命日。今月は心しなければならない月でもあるのです。戒めがあるということはありがたいことです。心華寺も愛宕寺も二代目ということに奇縁を感じています。
今夜は「にんげん学」一宮講座、中部地区の皆さん会場でお待ちしております。明晩は東京講座、東京地区の皆さんしっかりと明日は予定しておいて下さい。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。