病み

おはようございます。

梅雨前線の影響でまたもや豪雨、被害に遭われました皆様には心よりお見舞い申し上げます。天の道をお手本とするのが私たち人間、天は何を私たちに教え諭そうとして試練を与えているのでしょうか?。天の道は非情の道でもあり、人の道は情の道です、その情の道が偏っている事への警鐘なのかもしれないと考えます。
「にんげん学」一宮講座ご出席の皆さんありがとうございます。学べば学ぶほど孔子の凄さがわかります。自分の為に学びながら自分の心を見失ってしまう人が多くおられます。学びは修己治人と明言しているわけで、良いとき、悪いときの両極にある時の身の処し方如何を教え示してくれるのです。孔子の学はリアルであり実践に即さない空虚な教えではありません。
「病(なや)み」。
昨日ここまで進むことができませんでしたが論語、衞霊公第15、32条「子曰く、君子は無能を病(なや)みとす。人の己を知らざるを病みとせざる也」。
意は「孔子言う、君子は己に才能なく、実力のないことを気にも病み心にもかける。しかし、人が己れの才能・実力を知ってくれないことは、格別気に病むこともなく、心にとめることもない。」。
孔子の偽らざる心境であったでしょう。幼少の頃から天才、聖人と言われていた孔子ですら自分が知られないことを病んだときがあったのでしょう。しかし志学(学に志す)を根本とした生き方にブレを生ぜず、修己治人を貫いた、孔子ですら悩んだのですから私たちが懸命に努力して人に知られないことを悩みとするのは当然でありましょう。
しかしやはり心を外に奪われることは宜しくありません。そこで、己の才能・実力を知ってくれないことは、格別気に病むことではないのだと教え諭してくれた孔子の恕の心がありがたいですね。
毀誉褒貶に心を奪われず己を修めることです。自分の実力を高めることにこそ心を傾ける大事があるのです。
今夜は「にんげん学」東京講座、東京地区の皆さん会場でお待ちしています。一人でも多くの方のご参加を願っています。何か上に書いたことと少し違うかな?、しかし心からお待ちしています。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。