気を楽に

おはようございます。

豪雨の被害が創造を絶します、被害にお遭いになられました皆様心よりお見舞い申し上げます。
自分の人生をふり返って不幸だったと思うことは人を見て羨んでいた時代、小学校から中学二年までの間です。何も見ても嫌で、何をやっても面白くなく、人が決めたことにはことごとく反対するという我が侭、自儘を言っていたように記憶しています。それもお袋と一緒にいるときです。まるで鎖につながれている犬が吠えているようなものでした。
今はどのような人と居ても楽しく何でも大好きです。出来ないことはできませんし、できることはたかが知れていることも知っていますし、できたとしても人に勝るものはなく、懸命にやることだけが取り柄といえば取り柄かもしれません。
「気を楽に」。
人生気楽に楽しくやるべきです。気楽にやるといいましても、手を抜くということではなく、人よりとか、あいつよりとか考えないと云うことです。そうは云ってもなかなかに難しいことです、難しいことだからこそどうあるべきかを思うことです。
最近になってようやく楽しめるようになったような気がします。京都、大阪での「にんげん学」では老子を読んでいますが、人様と共に読むことによって少し気楽になれたようです。
人の道と自然の道との違いが少しは分かったということかもしれません。孔子は「朴訥仁に近し」といいましたが、朴訥に生きる、あるがままに生きるというのもどうしてどうして結構難しいものです。朴訥に生きることが一番礼に適っていなければならないと思うからです。
しかしやはり年を重ねることは良いこともあります。朴訥に近くなるからです。過去の栄光などでは腹の足しにも、頭の足しにもなりません、また年が経ってからの自慢話ほど若い人たちに嫌われることありません。淡々と今を話すことが大事だと先が少なくなって事実をありのままに話すことができるようになってきたのではと思っています。
人間こうでなければというこだわりを持ちますとどうも視界、視野が狭くなるようです。その代表が好きなものでしょう。好きというのもいろいろありますが、何事の好きも心を狭くします。それではせっかくの人生の楽しみを失ってしまいます。
そうは言いましてもやはり私はまだまだ未熟のようで好きなものがなくなりません。だからこそ気を楽にしなければと思うのです。
三連休で昨日も東京からの新幹線は一番でしたが満員、皆様気をつけてお楽しみください。京都も祇園祭ですので賑やかです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。