自分が

おはようございます。

この世はある意味矛盾しています。この事実、現実を知ることです。私が楽をすれば周囲の人が苦労をする、私が少し余計に働けば周囲の人が少し楽をするのが道理です。この矛盾を矛盾と捉えず契機、きっかけとしてただ単に楽を考える人間となるか、苦を感じた故に人の為に工夫をする人間となるかです。
苦を逃れ楽を考えた人間には自分しか味わえない永遠に逃げの人生が待っており、人の為に楽を工夫する人間は生き甲斐という自分しか味わえない悦びの人生が待っているのです。
「自分が感じるから」。
自分が苦を感じたときどのような思いに至るかが人生の大きな契機となります。ある契機、きっかけで自分だけが「苦しいのだ」と思った瞬間から闇の中に入ってしまいます。
逆に「人様はもっと苦しいのだ」と思ったとき我慢もでき、苦から脱する「工夫を生む力」ともなります。また苦から脱する方法など無いことに目ざめ、使命感として無心に働くことに目ざめるのです。
このように私たちは瞬時に常に二者択一をします。瞬時に二者択一をしていることを知れば、やはり「学ぶ」ようになります。何を学ぶのでしょう「心学」です。自分で自分の心がコントロールできないのではせっかくのパワーも生かしようがないのです。
車も走るだけ進むだけではありません、止めること停止すること、ハンドルを切ること、ブレーキをかけること、後退や遠回りまた迂回ができてこそ車というツールを使って目的地に到達できるのです。直線的な人生では太く大きく豊かにはなりません。紆余曲折があるのが人生です。
いくら知識を持っていたとしてもコントロールすることを知らないのでは一層矛盾に落ち込みます。自身が感じた瞬間の行動学が心学です。そして心が冷静沈着に在ることを出来るようにするのが日々の祈り瞑想です。
写真は心華寺の中庭にそっと咲いている小さな蓮の花です。泥の中でも咲かせる蓮、見習いたいですね。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。