辯財天信仰

おはようございます。

今日は師に久しぶりにお伴を願い出て吉野にあります「天河辯財天社」にお参りさせていただきます。お伴できますことはありがたいことです。人生はどなにでもお相伴、随喜する心が大切なことだと感じています。
14日は師匠の満80才のお誕生日。今は善光寺大勧進ですので失礼しておりますが、比叡山におられましたときは毎年おうかがいしておりました。80才の傘寿、永遠に私の傘としてお守りいただいております。
「辯財天信仰」。
師の導きで私は辯財天信仰者となり、辯財天行者となりました。辯財天様はご存知のように「天部」の神様。天部とは仏教の十界に由る所の「地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界」の中の天界に在ります。
地獄界から天界までの六道は迷界、迷いの世界。しかし辯財天様の御心は悟界(悟りの世界)にあります。ですが大いなる慈悲により身は迷界に在り私たちをお導きくださるのです。その思考行動原理に惹かれて辯財天信仰、行者となりました。
私たちは悟道を歩んでいる身ですが、人道を現実には歩んでいます。そこに様々な誘惑となる現実に遭遇。誉められれば有頂天になり、己を見失う危険性があり。叱られれば素直になれず途中で放棄する危険性があり。哀しみに遭えば茫然自失となる危険性があり。楽しみに溺れる危険性もあり。得られなければ心貧しくなる危険性があるのです。
辯財天様は私たちの欲望、危険性をよく知った上で、うまくコントロールし導いてくださいます。人生を歩む道中にはいろいろな危険性が妊んでいますが、悦び、充実感も又多くあります。個々人の才能、能力を全うする加護、商売を繁盛させる加護、心身の健康の加護等々を約束して下さるのです。
私たちは挫折したり、途中で道を変えたりしてしまうのは行き詰まり感で心が貧しくなるからです。私に才能がないのではないか、金運が無いのではないか、出世運に見離されているのではないか等々自分で自分を疑ってしまう。辯財天様を信仰する者には行き詰まるような加護をなさいません。なぜかといいますと、無理をしないのが辯財天様、水神様です。水は「流れるところにしか流れない」のです。必ず信仰者には方向をお示し下されるのです。
辯財天信仰者は人欲に犯されません、故に無理をしません。大きく流れるときもあり、細く流れるときもあるのです。流れることを吉とするのであって、大きく流れるのが吉ではなく、流れ続けることが吉なのです。愚かな見栄は張らなくなるのです。
故に人に社会に尽くし続けられますから繁栄し続けるのです。それが古来から学芸、商売、出世、金運、勝運にご利益があるといわれている所以です。その上辯財天様は美女の代表。それは物心が豊かだからです。ゆったりとした愛嬌のある微笑みを辯財天様はされています。
美人とは顔の造作ではなく、愛嬌。愛嬌はどのような仕事でも対人関係の基本態度、表情です。
福徳の神として豊かですから微笑んでいるのです。信仰している私たちはご利益を得ていなくとも信じていますので豊かに安心して仕事に向かうことができます。故に人様は安心して任せてくれるようにもなり、次第次第に現実の豊かさが大きくなっていくのです。
そして不足をいいません。ただただありがたい、感謝の思いで仕事に従事しますので一層の信頼と信用となります。ですから辯財天信仰者は安心して過ごす日々であるのです。
比叡山下山以来無名でありながら多くの方がお参りにこられるようになりましたのも、研修で多くの企業様が当寺をご活用くださるようになりましたのも、何等不思議なことではなく、当然のご利益でもあるのです。しかしそれもこれも感謝があればこそと日々皆様に代わりご祈願をさせていただくのです。
今日は天河辯財天様にお師匠様とお参りさせていただくことで一層金港辯財天様の功徳となるに違いありません。師匠には信仰の世界での扉を沢山に開いていただきました。感謝するばかりでお返しができないのが情けない限りです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。