六根清浄

おはようございます。

昨日は素晴らしいおまいりをさせていただきました。天河辯財天奥殿、ご本尊様の目の前で師の導きでお勤めをさせていただき感動。辯財天行者冥利につきます。金港辯財天様とお師匠様のお導き、金港辯財天様へ信仰なさいます皆様には更なるご利益がありますことを確信致します。
拝殿にて柿坂神酒之祐宮司にお祓いをいただき、お榊奉奠、奥殿に登り師匠の導きで読経、ご本尊様との感応道交、魂が震えました。天河辯財天様と金港辯財天様、時空を越え新旧パワースポット融合の一瞬。
天河辯財天社様お世話になりありがとうございます。新たな一歩を踏み出した爽快な気持ちです。年頭に掲げました一年の計「初心に返る」。初心に返ったお蔭で昨日の天河辯財天社へのお参りのご利益になったと確信。帰り際に師匠が「新たな一歩、再出発やな最誠」と吾が心を知るかのようなお言葉、師との感応道交の瞬間、涙があふれました。
「六根清浄」。
明日は誠澄先達で第24回「日本一の会」富士登山。誠澄以下23名で登山。地震の影響で一回お休みしましたが今年で24回目、よくぞ続いたものだと我ながら感心しています。それ以上に参加者の皆さんにお礼を申しあげます。気をつけて登山ください。
富士山や霊山を登山しますとき、サンゲ、サンゲ、ロッコンショウジョウ、懺悔、懺悔六根清浄、懺悔、懺悔六根清浄と唱えながら登山。六根とは「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六つの感覚器官のこと。
この六根が対象物によって汚されない、惑わされない、迷わないという意志を表明、お山の神々に誓い登山することで心身を一つにして山神にお守り願うのです。
山を一旦登り始めたら頂上を極め、そしてまた下山、又新たな人生の頂点をめざす。時に惑わされない、迷わない六根とするためであります。
山脈という言葉があります。それと同じように命脈という言葉も。人生は一山越えて、又登り、又越える連続、脈が一旦止まれば連なることはないのです。志を立てながら一旦それを止めてしまえば、それは志とはいえないのです。
私たちの六根は眼は美しいものに執らわれ、耳はよき音に、鼻は良い香りに、舌は良い味わいに、身は肌触りの良さに、意識はその手さわり肌さわりの心地よさにです。六根の心地よさに人生の途中で引きずられ己を見失わないようにすることが必要なのです。
何事かの道を極めようとしたとき六根に反する、嫌な感覚が生じるものです。そのときに感覚が逃げよと、命令指示を発し、せっかくこれまでに歩んで来た道を放棄するようなことをしないため、人生を上りつめるために、山登りをするとき先人は六根清浄を唱え、感覚の辛さから己の目指した道からの逃避をしないようにと山神に誓い加護を願ったのです。
古人は素直です。人間の弱さを知っていたのでしょう、人間はそんなに強い生きものではないのです、だからこ唱和して鼓舞して人生を歩んだのです。弱い身であることを山神に詫び、懺悔し己が六根が清められ惑わされないようにと、懺悔、懺悔六根清浄。良い響きです、わたしも読経の前に日々懺悔懺悔と己が弱さを鼓舞し一日精一杯生きています。
富士登山参加の皆さん気をつけて登ってください、ご来光にきっと感動で涙することでしょう。写真は師匠とご一緒に天河辯財天社鳥居前にて。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。