不増不減

おはようございます。

「日本一の会」富士登山にご参加の皆様お疲れ様でした。ご来光は拝めなかったようですが、日本一のお山をご自身の足で踏みしめたことは事実です。どうぞ体験されました辛さ、達成感を今後の人生にいかしてください、そして来年もチャレンジください。誠澄にご一緒いただき改めまして感謝いたします。
今朝は山形県鶴岡市湯の浜温泉で目ざめました。日本海に面した温泉、日本海に涼む夕日が最高です。一風呂浴びた後の書き込みです。
実兄が酒田に一人居り、兄嫁の年忌法要で昨日こちらに入りました。法要を済ませ、温泉で接待お供養をいただき、これから下関、愛宕寺に向かいます。
「不増不減」。
「ふうぞうふうげん」と読みます。般若心経に説かれている一節。増えず、減らずという意味です。昨日も伊丹から羽田、羽田から酒田と飛行機でやってきました。何か便利になったような感じですが、何の何の便利な分だけお金も必要です。早く来られるから幸せかと云えば?でありますし、遅いから不幸せかと云えばこれまた?です。
何も私は不条理なことを書き、不平を書いているのでもありません。道理を書いているのです。物事を早く進めたことで幸せばかりではないのですよと書いているわけです。
人生「どうあるべきか」を先日も書きました。やはり自分の生き様が大事だと思うわけです私は。人に刺激を受けても左右されない。この価値観が大事なのではないでしょうか。ですから「どうあるべきか」なのです。
時には消極的に大胆に歩む。時には積極的に大胆に歩む。この二つが大事ではないかと思うのです。逃げるときもあり、攻める時もある。どちらか片方では行き詰まるのです。ですから般若心経では、何をやったとしても増えないし、減りもしないのだ、ということを諭しているわけです。増えるためにやって減ってしまうなどという笑い話のような現実の話は一杯数え切れないほどありますし、減らさないでおこうなどと考えていても倹約、節約はできたとしても減らない物など何一つ在りはしないのです。
好きなことができないことほど不幸せなことはありません、だからこそ私はできないようなときには思いだけを強くして消極的に生きて時節到来を信じ歩むのです。そして嫌いなことをしたくありませんから、積極的に嫌いなことをしなくとも済むように対人関係を結ぶようにしていくのです。
そんなこと打算ではないか、和尚の普段の教えに反するのではないか、と不審に思われるかも知れません、さにあらず、このように書いてしまうからおかしいように感じてしまうのであって、何もおかしくはないのです。
皆さんは消極的にも積極的になったことがないからそのようなことを感じるのです。消極的に生きるとは正直に生きると云うことです。できないことは聞く、という消極的姿勢、これが積極的姿勢なのです。
自分を偽って見栄を張り曖昧に対処しますから、相手ができるであろうという思い込みを持つのです。またできることを目の当たりにしても積極的にしないのです(できることというのは利があるかないかではなく、掃除でも何でもということです。多くの人は価値があるか否か、有利か不利かを考えている)。
ですから「どうあるべきか」を持っていないともいえるのです。早く便利な分だけ、疲れが大きいのです。不増不減を知る一日、しかしやはり飛行機だったからこそ極楽を感じる温泉にも入れたのです、どちらにも偏るなと云うことです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。