財産は信

おはようございます。

年一度夕食をご一緒するドクターがいます。私より年令は4才下なのですが、好感度抜群のイケメンドクター、そのドクターと今夜夕食。嬉しいですね、君子の交わりは淡き水の如し。
「財産は信」。
言志後録に「信を人に取れば、則ち財足らざること無し」とあります。「信用を人から受ければ、財貨に不足することはない」ということ。
韓非子(かんぴし)の話。「秦(しん)の穆公(ぼつこう)のもとへ戎王(じゆうおう)の使者として来た由余(ゆうよ)という男に「昔の名君たちはどのように道に基づいて政治を行ったのか教えてもらいたい」ときいた。
「倹約を以て国を治め、贅沢を以て失ったといいます」
「私は道をたずねているのだ、倹約ではない」と穆公がいったのに対し、由余は答えた。
「昔、堯(ぎよう)が国を治めていたときは、食器類も素焼きの土器でしたから地の果てまで堯に服していました。
 次の時代になりますと、山から木を切り出し細工して器にし、それに漆を塗るようになりましたので、支配に服さない諸侯が十三人も出ました。
 次に禹(う)が夏王(かおう)になりますと、祭器も木を細工し、内側を赤く、外を黒く塗り、絹の敷物を使い、ゴザにへりを付け、盃や樽にまで飾りをつけました。ますます贅沢になった。そのため従わない諸侯が三十三人にもなりました。
 夏(か)から殷(いん)王朝になりますと、九本の吹き流しのついた豪華な車に乗り、食器に彫刻、盃は金、四方の壁は白く塗り、敷物に模様をつけるなどの贅沢。そのため、従わない諸侯は五十三人にもなりました。
 このように、上に立つ者が贅沢になるにつれて支配に服する者が少なくなっています。そのため倹約こそ、あなたの求めている「道」だといったのです」
これは「韓非子」の最高責任者の十の過ちの中にあるもので、贅沢によって信用を失うことを突いた話です。
これは現代でも同じ事です。企業でいえば放漫経営であり、その原因の多くはルーズな金銭管理でしょう。「倹によって、これを得、奢によってこれを失う」のです。「信は」人を得るにも欠かせませんが、お金を得るにも欠くことができません、信用があるから資金を供給し、信用ある店から物を買うのです。繁栄の資源は「信」の一字にあるのです。
一年に一度ドクターと一緒に美味しい食事をします(味は食べ物の味もさることながらご一緒する相手にもよるのです。人の味が一番、お断りしておきますが私は人食いではありませんので。)。「過ぎたるは及ばざるがごとし」とならないようにしなければいけません一期一会です。
昨日から今夕まで心華寺ではM&Uスクールが開校されています。もう25年続いています。私が留守をしていても梅谷忠洋先生は上に書きました信によって継続くださいます。信は凄いですね、留守をしていても精神を大切にしてくださる。受講生の皆さん学んだことを一つ今日から直ぐ実践ください。しっかりと学び気をつけてお帰りください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。