おはようございます。

今日は愛宕寺開山・初代・全信尼の祥月命日、愛宕寺も心華寺も共通するものがあります。第一は両寺共女性が開山であり跡取りがいなかった。第二は初見からは凡そ寺とは見えない、暮らして行くことに不安を感じてしまうという点、心華寺は門はあれど閉ざされている不思議な寺。愛宕寺は長屋の路地を入った2件目、これもまた寺とは思えない民家風の玄関、始めてこられる方は玄関前に来ていても分からない。
この外見からの判断は見事正解。しかし愛宕寺は外見とは裏腹素晴らしい信者さんが多数で二度びっくり。第三は両寺共歴史は浅く、知名度も低く、ご利益が何であるか世間に余り知らていない寺?。いわゆる未知数であり無限の可能性を秘めた夢一杯の寺と私は考えたのです?。少し格好良すぎですかね!しかし事実です。
「法」。
私自身が選んだ寺、後悔したことはありません。法力とは凄い、法に忠実に従い歩めば必ず結果を得、ご利益となることを実感するばかり。無名は無名の良さがあり、それは無名な人がお参りにこられたり、相談にこられるのです。未来志向の人が来るのです、だからいろいろな未来への興味がそそられる人様の展望を感じ、多くの人を奇貨と感じたのです。事実その後は皆さんそれぞれ大成しています。
いつも書きますが、レベルです。その時その時のレベルに応じた出会いです。自分が出会った人を信じること、だからこそ磨き、必要なことを学ぶ。無いからこそ有を為すことを常に考える。
無名ですから時間は有り余るほどある、ですから修行、勉強の時間がこれまたありすぎるほどある。夜半歩いて泥棒と間違えられたり、断食断水不眠不臥行、水行や滝行、五穀断ちを10年、八千枚護摩供、巡礼、富士登山と、ありとあらゆることにチャレンジして己の心身の動きを知ることができました。そして共に歩んでくださる方が一人また一人と。
人生は求めていくことも大事ですが、求められることも大事。両寺共外見上寺らしくなかったため跡継ぎが出きませんでした。そこに両寺共に私に白羽の矢が立ったのです。
得たいと思って得られない人を多く見ています。私はこれまで与えられるばかりの人生です。これからもそう在ることでしょう。
仏縁、法の縁とは人知を越えた摩訶不思議なパワー、素直に法に対すれば充実した悲喜交々の人生が与えられ、悲喜交々が人との絆を強く太くします。悲喜交々がなければ長いお付き合いはなかったと感じています。苦しさや哀しみを乗り越えてこそ本当の人間としてのお付き合いが在るのです。
今日は午前10時よりご開帳法要並びに全信尼の追善法要を執行します。お参りください。今月のご愛読ありがとうございます。一日が一ヶ月、一日が一生、今日一日が皆様にとり素晴らしい月末でありますことを祈ります。
心華寺有志の皆さん昨日は仏器磨きご奉仕ありがとうございます。8月1日を爽やかに迎えられます、感謝致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。