間合い

おはようございます。

8月、今月もよろしくお願い致します。11日ぶりに心華寺での書き込み、蝉の声も早朝から始まり、熱帯夜で寝苦しく熟睡できず、熱戦が続いているロンドンオリンピック、寝不足に注意してお過ごしください。
アブラゼミやミンミンゼミの声が少なくなったのが寂しい気がします、今朝は懐かしい蜩が鳴いています。今のお子さん達にない感慨かも知れません。音や風や暑さや寒さで故郷を思い出していましたが、蝉の声では思い出さなくなったようです。トンボも見なくなって久しく以前からいなかったのではないかとさえ感じてしまいます。
愛宕寺初代・全信尼祥月法要、ご開帳法要へおまいりいただきありがとうございます。ご本尊様はやはり神々しくありました。皆様のお陰で拝むことが叶いまぶたの裏に焼き付けましたのでしっかりと観想、イメージが残像となり祈りに力がこもります。御簾、幡、水引も新しくなりました。これからも心新たに共に仏道を歩んでまいりましょう。
「間合い」。
人様とのお付き合いは「間合いが大事」です、礼節です。対人関係を良好に保つにはこの間合いがとても重要なポイント。古人が親しき仲にも礼儀ありとはよくぞ言ったもの。
遠ければ見えず、近すぎても見えないのが物の道理。だからこそ人様とのお付き合いの間が大切。親しくなってダメになるということがよくあり。また近づきませんと相手の情報を確かにすることができない。だからこそ呼吸を計り間合いを取る礼節が大事です、いわゆる出処進退。出処進退は呼吸、相手との間合いを取る重要なポイント。
人との間合いを知るためには今月は幸いに「お盆月」。お盆と改まらずとも日々のご先祖様への供養は為されていると思いますが。このことは人様とのお付き合いのをする上での間合いの基本。ご先祖様は何も言いません、もちろんご神仏も。何も言いませんから自分の気持ちがそのまま表れるのです。
古人は太陽をお日様、お天道様、水神様等々の如く欠かせない物を「様付け」で尊んだのです。尊ぶとは「一歩退く、間を置く」ことです。尊ぶことがありませんと、大事にしません、故にいつしか存在を忘れ何もしなくなり、身近にあったとしても感謝の心も失い、存在を無視することほど恐いものはないのです。
そして最悪なのは自分のペースになり、気配り、心配りを失い、気を使って行動はしているつもりでも人様との間合いもへったくれもなくなり、知らないうちに人が去ってしまっているのです。
よく運が良い人と悪い人などといいますが、この紙一重はどうして紙一重になるのでしょう。それはやはり人道としての精進の在り方です。
やれば出来るなどという思考ではチャンスはつかめません、なぜかといいますとやはり仰ぐ目標、お手本とするもの、間を置くもの、尊ぶものを持ち日々の行動をしないからです。
やればできるなどいう思考はそこですでに礼節に欠けている、人の存在もない、間合いがなく自分と同等に考えているのです。そこには間が無く何も入ってくる余地もなく、尊敬もなく、上達しようとする精進する意欲もなく潤いもなく、人としての情愛もないのです。尊敬は情愛の世界でもあるのです。
目にすることのできない存在を感じることができてこそ人の心を打つ間合いが人様と保てるのです。明日は「にんげん学」一宮講座、愛知地区の皆さんお暑い中ですがご出席をお待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。