一つの実践

おはようございます。

今朝の西の空に今にもこぼれそうな満月、暑さも忘れるくらい見事です。「戯論(けろん)」という言葉があります、これは知っているだけで行動しないことを言う言葉です。ただ単に物識りの人に多い傾向です。知るということは実践躬行(じっせんきゅうこう)するためです。実践のためにするのでなければいくら質問したとしても理解できるはずもありません。ですから身近な事で掃除でも何でも知ったなら躬行、行うことです。そうすることで何事の話でも理解できるようになるのです。
ところが実践躬行しない人は人の話を聞くのは聞くのですが自分の頭で納得するもの都合の良いものを聞きたい、知りたいという思いばかりで何の進歩も進化もしないのです。このような人は大を為すことはできないのです。
「一つの実践」。
どんなことにでも言えますが、いつも書いているように小さな事だからといってすましているようでは大をなせるはずがありません。大志と細心は一対であります。言志録に「真に大志ある者は、よく小物(しようぶつ)を勤め、真に遠慮有(えんりよあ)る者は、細事を忽(ゆるが)せにせず」と。
意は「ほんとうに、大きな志のある者は、日常の些細なこともおろそかにしないで処置し、真に遠大な志のある人は、こまかなことも、ゆるがせにしない」。
またこのような言葉も「心は小ならんことを欲して、志は大ならんことを欲す」。心は綿密であることが望ましいし、志は大きくもたなければならないという意味。中国の昔、魏の宰相白圭(はっけい)は堤防の蟻の穴を塞がせたといい、千丈の堤も蟻の一穴からのいわれです。
また、周朝を開いた武王を弟の召公が諫めた言葉に「細行を矜(つつ)しまざれば、大徳を累せん」とある。小さな行いも慎重にしなかったなら、ついには大きな徳をも損なうことになる。このあとに「山を為(つく)ること九仭(きゆうじん)の功を一簣(いつき)に虧(か)く」とつづく。あと一もっこの土を運べば山が完成するのに、それをしなかったために山ができないのだ。ゆえに功がならない。
また「難事は易きに作(おこ)り、大事は細事に作(おこ)る」。難しいことも簡単なことから起こり、大事件も些細なことから起こる。老子に「難を其の易きに図り、大を其の細に為す」とある。難しくなるようなことは簡単なうちに処理してしまいなさい。大事になるようなことは小事のうちに始末しなさい、ということです。
だいたいが人生や経営に行き詰まる原因をみますと、その原因が小さなことから出発していることに気づきます。しかし、細心でない人は、それに気づかない、大事にいたって気づくのです、それでは遅きに失するのです。
孔子もどんな人と一緒に軍隊を進めますかと質問されたとき、臆病な人と答えました。しっかりと細心に対策を講じ日頃の鍛錬を怠らない人ということです。思いだけで高言をするような人間と大事を歩めないということです。今夜は「にんげん学」一宮講座、会場でお待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。