思いやり

おはようございます。

「にんげん学」一宮講座ご出席の皆さんお暑い中ありがとうございます。毎日いろいろな人との出会いがあります。昨日も新しい参加者があり嬉しいことです。そのような中で又いろいろな会話を通じ親交を深めていくのが私たち。そこでやはり問題なのがどのような気持ちで話し接していくかということです。一期一会の出会い、長いお付き合いとなったり、一度で終わったりと。
「思いやり」
昨日学びました論語、衞霊公第15、18条「子曰く、君子は義以(ぎもっ)て質(しつ)と為(な)し、礼以(れいもっ)て之を行い、孫以(そんもっ)て之を出(い)だし、信以(しんもっ)て之を成(な)す。君子なる哉(かな)。」
意は「孔子言う、君子は正しい義理を以て己れの根本となして行くべきものである。而してこの義理を実際に行う場合には、尊卑の分(ぶん)、親疎の別を考慮して、礼を行い、又その義理を言葉にあらわす場合には、謙虚な態度を以て言葉を出し、初めから終わりまで偽りのない信を以て終始して、その義理を完成して行く。かくて初めて真の君子ということが出来よう。」。
何度もこの条を読んではいたのですが、昨日皆さんと音読し改めて人様とのお付き合いの在りようの態度、根本を反省しました。
話をさせていただくに於いていつも人様の事を思いやって話しをさせていただいているのか、また行動する上に於いては上位の人に対しては上位の人に対する態度、また同僚や後輩、そして仕事先の方に於いても年令や立場を考慮して接しているか否か、言葉も同じように使い分けているかどうか、ということです。
いつしか非礼になったり傲慢になったり、配慮に欠けるような態度になり、知らないうちに人様とのお付き合いが疎遠になっていたのではないかということです。分かっていくれているだろう、分かっているだろうという勝手な思い込みで失礼な発言で不和になったりしたことを思い出しました。
言葉の行き違いや理解の度合いは当然の如くとして生じますが、それらの問題は自身の接し方に信義が欠けていたのではないかと反省した次第。分かったつもりでなく音読は繰り返し続けてこそやはり学びだとつくづく思い知りました。同士同行の人の在ることに感謝です。
明日は愛宕寺「先祖、物故者・水子。盆・施餓鬼法要」です。午前10時からです。どうぞお参りの上ご焼香ください。家の繁栄、会社の繁栄の根本が先祖供養です。
 
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。