残してくれた

おはようございます。

今日は愛宕寺「盆・施餓鬼」法要です。午前10時からですどうぞお参りください。厳しい暑さですがこんな時だからこそ先祖を偲び感謝の心の行動が大事です。私たちはややもしますと自分の辛さで人様への思いやりが欠けてしまう場合があります。そのような気持ちになるのもご先祖様への日頃の感謝が少し足りなくなっているのかも知れません。考えてみましょう。
「残してくだされた」。
多くの大切なものをご先祖、先人が残してくれました。感謝して余りがあります。子孫のために必要なこと、大切なことを書き残しおいてくれたのです。知識を自分一人のためにだけ使うのではなく、外部の記憶装置に残してくれたご先祖の偉大な愛の業績です。
これはすべて大なる愛情の結晶、いかがでしょう、このように考え感謝したことはおありですか?。親の意見や、祖父母の意見、上司、先輩の意見をうるさいと思って聞いていませんか、このブログをお読みくださっている皆さんは感謝している人たちばかりだとは思います。(お世辞です)。
残してくれたからこそ勉強もでき、知識をも技術も受け継ぐことができている。ありがたいことです。
先代、先人が愛情で伝えてくれた、感謝しなければいけません。自分を大切にすればこそ、子を大事に思い、また子孫のことばかりではなく、仲間や後輩、多くの人の為に様々なことを残して行かなければと考えるのが人間が本来持っている慈悲の心。
自分を大切に思わない人間は子どもをも人様をも大切には思えないのです。
その素晴らしい心を受け継いで学び、形を踏襲し感謝の心を表すのがお盆や月の命日、はたまたお彼岸法要でもあります。私たちには「心があります」、誰でもそれは感じていることです。しかしやはり体温を感じたり、外の刺激で様々な心が生じることを思いますと、やはり示すことで心を表現すべきだということが分かるはずです。
いくら口で先祖を大切にしている、思っていると話したとしても実際供養の行動をしなければ人様はその体温を感じることはできませんし、その人の心情というものを計りようがないのです。やはり行動しなければ心は示すことは叶わないのです。
からだは実体があります。自分の目で見て、触れて動かしてみることができます。からだは確かにここにある。隣人のからだも、ここにある。私のからだと隣人のからだは同じような構造はしています。しかし「こころ」はどうでしょう。からだと同じように確かにすることができますか?皆さん、いかがでしょう?。
だからこそ形、行動して見えるようにすることが大事なのです。先祖は何も言いはしませんし、指示もしません、人生も又同じです。指示待ちしているようでは人生の確立などほど遠いのです。
外を見て、外部の刺激を受けて私たちの心で受けとめ自分が行動するのです。そうでなければ何も始まらず、何も得られる道理はないのです。
午前10時からです。明日は心華寺の「盆・施餓鬼法要」です、こちらも午前10時からです。いろいろなことを残してくれたことへの感謝の行動が先祖供養です。そして繁栄の大本でもあるのです。
 
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。