己のため

おはようございます。

「にんげん学」講座を各地で皆さんとご一緒するようになって15年経過していますが、最近になってようやく三国志にある「読書百遍にして義自(みずか)ら見(あらわれ)る」ということがわかりつつあります。
「己のため」。
言志後録に「弊(へい)を矯(た)むるの説は、必ず復た弊を生ず。ただ当に学は己の為にするを知るべし。学は己の為にするを知る者は、必ず之を己に求む。これ心学なり。力を得る処に至れば、則ち宜しく其の自得する所に任ずべし。小異ありと雖(いえど)も、大同を害せず。」。
意は「弊害を矯正しようとする説はまた別の弊害を生むものである。
学問は自分の修養のためにするのだということを知らねばならない。
学問は自分のためにするということを知る者は、必ずこれを自分に求める。これが心を修める学問なのである。この力を得るところまでくれば、自分の心の悟りに任せてよい。そうすれば多少の相違はあっても、たいしたことはにはならない」。
学ぶということは「己れのためだ」ということをはっきりしていなければ弊害が次から次へと起こるぞといっているのです。問題を解決するためなどと考え学び、問題を生じた己の心を学ばなければ何の問題も解決しないだけではなく、又新たな問題が起きてしまうことを知るべきです。
外に対するためではなく己に求めて学べば例え障害が生じてもたいしたことにはならないぞ、と教えているのです。
ところが学んでいる人の多くは何かに対処するための間に合わせの勉強をしているために、次から次へと問題、弊害が起きるのです。心の在り方、心学ができていないと問題多き人生と為すのです。
学ぶことは知的に対処するためでもあるが、真の学びはやる気を失わない、モチベーションを失わない、人生を見失わない、己を見失わない、人を見失わないためであるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。