こだわり

おはようございます。

一昨日の夜から昨朝までの雷と豪雨、想像を絶する凄いものでした。全国の雷様が集まり競演、雨も全国の雨が宇治に集中しているか如く、宇治の各地で被害が出ました。被害に遭われました皆様には心よりお見舞い申しあげます。
また全国の皆様からお見舞いのお電話、メールをいただき感謝致します。ありがとうございます。
今日は終戦の日、無謀な戦いを反省し、身近な争いを無くすところから不戦の誓いを立てましょう。対戦でお亡くなりになりました皆様のご冥福をお祈りします。
誠澄はお盆のお参りで忙しくしていますが、私は席を温めています(暑い日が続いていますので温めたくないのですが?)。一人のんびりとしたお盆です。ということは手分けしてお参りするほどお参り先がないということです。
叡山から下りた当初、信者さんにお盆でお忙しくて大変ですね、と言われ、いやいやそんなことはないですよ、と応えますと、謙虚に応えているような受けとめ方をしてくださってました。実は本当に下山当初は一軒のお参りもなかったのですから答えようがなかったのです。
今では少し信頼を得たようで誠澄が走り回っています。一層心して精進しなければと思っています。いつの間にか全国の信者さんからご依頼いただいていますご先祖様の供養は相当数となり一日も気が抜けない状態です。
「こだわり」。
人生の浮沈は「こだわり」から生まれます。昨日も善悪同服のことを書きました。時折書いていますが私は比叡山下山時には信者さんと呼べる人は一人もいませんでした。
ではなぜ生活ができてきたかといいますと、心華寺開山・長澤一栄尼に日に一食の布施をいただき糧としたのです。お陰様で今日まで御仏にお仕えして生きながらえています。
立身、出世、名誉、お金等々にこだわりを持っていません。ただひたすら御仏にお仕えすることを「命」としたのです。そうすることであちらにもこちらにも(いろいろな人様との出会い)偏ることなく自分の歩む道を歩んでこられました。
人間の栄枯盛衰は古今より数え切れませんが、延暦寺や古くからあります名刹、古刹といわれている寺院は現に存在しています。私は高名な延暦寺で修行し、そして無名である心華寺入山しました。しかし何の不安もありませんでした。
なぜかといいますと道を歩むことが私の命であって、お金を沢山得ること、有名に成ること、寺に沢山お参りに来て貰うことが目標ではないからです。(人情としては大いにありますが?)。
「こうでなければならない」という「こだわり」を持たず、ひたすら皆さんの安泰を祈ることを行ってきたのです。そう在る事でどこにも(お金、地位、名誉という欲に)引っかからずに歩んで来られたのではないかと考えています。
誠澄が張り切って皆さんのお役に立てている姿に冷房の効いた部屋で独り読書してにんまりしているのです。
社会での生活は必ず波風が立つものです。その波風を生かすも飲み込まれるのも、欲望に引っかかる故です。引っかかることなく、ひたすら自身の命を歩むことをお進めします。「柳は緑、花は紅」です。私は私以上にはなれないのです。私は私を歩んでいるのです。
こうでなければ、ああでなければなどと考えて自分で自分の心を悩ますようなこだわりは捨てましょう。
自分磨きをしていれば生かしてくださる立派な目を持っている方は世間に沢山おられます。孔子も「人の己を知らざるを患(うれ)へず。人を知らざるを患(うれ)う。」と言っているがごとくです。御仏の素晴らしさ人様の素晴らしさを知るように努めれば人生は楽しいのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。