信なれば

おはようございます。

今朝は下関、愛宕寺です。B巧芸社さん三日間お世話になりました。まだまだ暑い日が続きます、どうぞ大切にしてお仕事にお励みください。皆様方のご健康、ご活躍をお祈り致します。
昨日お昼過ぎに一ヶ月ぶりに愛宕寺に帰りました。ありがたいですね、信者の皆さんは毎日おまいりくださりお守りくださる。筆舌に尽くせない有り難さ、そう、有ることが難しい、あり得ないことが、有り難いことなのです。他人様のお力の凄さに感動、人生はありがたいことばかり、感謝してもし尽くせません。
「信なれば」。
論語、堯曰(ぎようえつ)第20に「信なればすなわち民任ず」。意は「信実であれば、民は信頼する」。皆さん信じると云うことは、何かを得るために信じるのではありません、それは信じるとは云わず、打算です。
信じるということはひたすら信じることであり、疑わないことです。信ずるということは「道を歩む」ことであり、「潔く歩む」ことでもあります。自分の事を理解してくれるくれないなどという理屈ではなく、「自身の人生を歩む」のです、それが他人様への「信」へとなっていくというのです、有り難いですね。
「知識を信じて歩む、修行を信じて歩む、他人様を信じて共にする」、これ皆全て自分の道です。
よく世間では「信じていたのに裏切られた」という話を聞きますが、それは全くないとは申しませんが、一人の人に裏切られたからといってもこれまでお付き合いをいただいた人や、新たに出会う人はそうとはかぎりません。ですから「信」という姿勢は変えてはいけないのです。
私は仏を信じてお仕えする道を歩んできました、御仏は使えても、仕えても信じても信じても何一つ与えてはくださいません。
ただ得られるものは心の悦び充実であり、御仏の教えの真です。己が心が不動であればこそこの悦びを味わえる、故に今日まで信じ歩んでいます、御仏からの優しい言葉が返ってこないからといってお仕えする姿勢を変えるようでは最初から信などはなかったのです。これからも信の一字を大切に自分の道を歩んで行こうと思っています。
明日は愛宕寺「月例・幸福開運祈願祭並びに地蔵盆法要」午前10時からです。ご本尊の将軍地蔵様は私たちが困ったとき助けてくださるのです。教えてやったのになどと不満をおっしゃらず、信の一字で困ったときに光明を示してくださるのですお参りください。
地蔵盆法要では大きな数珠を輪になって皆さんと一緒になって繰ります「大数珠繰り」を致します。数珠の球数は108、煩悩の数です。それを皆さんと一緒に繰りますと煩悩が滅するのです。幸せに向かって新たな旅立ちができます。お待ちしております、ご一緒に祈りましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。