盛りを過ぎて

おはようございます。

9月、長月(ながつき)、菊月(きくづき)などともいいます。古人は月名に味なものをつけたものです、夜が長くなるから「夜長月」、長い夜には何を思うのでしょう、人生でしょうか、それとも好きな人を思うのでしょうか?。
菊の花が咲く季節、菊の香の爽やかさが夏の疲れを癒してくれる、冷房のない時代、人を思いやる月名を感じます、菊酒などを嗜むのも良いかもしれません、今月もよろしくご愛読ください。
今月は稲刈りなども始まり、実りの秋。自然でも私たち人間でもその季節季節に色や姿を変えていきます。当たり前のことなのですが、どの季節が本当の姿なのでしょう?やはりいつの季節の姿でも真実の姿です。
「盛りを過ぎて」。
実をつけたときが本当の姿なのでしょうか、花を咲かせたとき、どの姿、どの季節でも本当の姿なのです。その時々に美しさがあることに気づき、その美しさに慢心してはいけません。
若いときは私たちでも動植物でも、貪欲に周りの物を吸収し興味を示し成長します。その姿は輝いて生き生きとしています。
私たちは何かを志し師について学んでいる若いときはどんどん成長し、階段を一段一段上がりながら、その時その時に先輩よりも上手く行く場合もあります。又時には教えて貰っている人をも凌ぐときもあります。
しかしこの時の輝きは「その時分の輝きである」ことを知らねばなりません。ここで慢心を起こしたら、人としての伸びしろがあるにもかかわらず、その伸びしろを自ら潰すのです。その輝きは時の輝きだということを知ることでなければ修練、学べなくなるのです。
大会社に限りませんがあっという間に栄光の座から滑り落ちる話は珍しくありません、何でそのようなことになってしまうのでしょう。それは「時分の輝きに満足してしまう」からです。一時の美しさ、輝きだということを胆に銘じることです。
人間の美しさは輝きは表面だったときはもちろんの事ですが、表面の輝きに至る努力を惜しまない精神が製品や、技術を通して輝きを発するのです。それは「内面の輝き」だということです。
「一時の盛りを過ぎたときにこそ真の輝きの本が在る」のです。そのことを知れば必ず散る時分の花、輝きにいつまでも固執せずに学び修練し磨き高めるのです。一時の花を「徒花にするなかれ」です。
今月も祈り学び己の心を誡め未来を楽しく描いてまいりましょう。時とはありがたいものです、明日は心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」です。毎月在ることの感謝をご一緒しましょう。今月もよろしくご愛読ください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。