随喜

おはようございます。

心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」ご参拝ありがとうございます。まだまだ残暑が厳しく皆さん汗一杯のお祈りに感動、そして感謝。皆さんの願いは必ずや聞き届けられたことでしょう。
全国からいただきました添え護摩祈願ありがとうございます。確かにお祈りさせていただきました、今月も安心してお励みください。
毎月の事ですがこの度も土曜日から大阪のKさん、愛知一宮のGさんが前泊してのお参り、お手伝いをいただきました頭が下がります。身施の功徳は計りしれません、これからも皆さんのためよろしくお願い致します。
「随喜(ずいき)」。
何事でも渋々随うのか、喜んで随うのかでその結果は大いに違ってきます。随うとは先人に随う、教えに随うことです。一番に違うのがやはりその表情です、随喜とは「喜んで随う」ということです。
喜んで随いますと行動が溌剌としますし、言葉も自信を持って発しますし、何よりもチャレンジする意義が大きい、やはり実践なくして何事も得ることができません。随喜する人に接した人はやはりその姿勢に「信を置く」ようになります。
だからこそ多くのチャンスが得られ、良い結果を招くことになるのです。随喜は「信の確立」です。そしてチャレンジするからこそ「修正する箇所が理解され」るようになり、その姿勢にまた多くの「共感者」が出るのです。
人生の指針を示して下された先人、教えに喜んで随うこそ自分の人生です。自分の人生を歩む上で己を疑い、先人を疑うことほど不幸な人生はないのです。
私は比叡山ご開祖、伝教大師様の教え「道心の中に衣食有り」の言葉に素直に喜んで随い歩んできました。道中、道を歩む中に目標を達する衣食は有るのだぞ、だから何も心配はいらないのだというお言葉です。肉体の飢えはありましたが精神の迷いも困ったこともありませんでした。
研修にお出かけくださったときお唱えいただきます「白隠禅師、坐禅和讃」の一節に「讃歎随喜する人は福を得ること限りなし」とも。先人の教えを讃え喜び随えば福は限りなく叶うということです。このような教えを喜ばずに何を喜ぶというのでしょう。
一言で言いますと、安心が在れば楽しく歩めるということです。気持ちが楽しくなければ何事も上手く進むはずもないのです、信じたら真っ直ぐ楽しく歩みましょう。
明晩は「にんげん学」大阪講座、阪神地区の皆さん一ヶ月一度、この一日がなければ一ヶ月はないと考えられるように確かに予定をいたしましょう。会場でお会いしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。