学ぶに如かず

おはようございます。

「にんげん学」一宮講座ご出席の皆さんありがとうございます。先日神戸で行われました「全国Lオーナー勉強会」で講演をお聞きいただいた方が2名新たに参加くださいました、Yさん遠い岐阜の揖斐からお出でいただきありがとうございます。遠いですが来月からもよろしくお願い致します。
いつも書いていますが、学は「まねぶ、実践、実学」です。まねる、行動がなければ当然のごとく上達はしませんし喜びも得られません。これまた同じ事ですが、上達は自身の上達であって、人と較べての上達ではありません、ここを間違えてはいけません、子供のように比べて人より上手くならないから止めるでは何事もならないのです。
また知識を得るだけでは慢心してその知識に感謝し行動としなければ破滅の道具に化してしまうことに気づくことです。知っただけで行動しない人間ほど嫌がられる人間はないからです。
「学ぶに如(し)かず」。
論語、衞霊公第15、30条「子曰く、吾嘗(われかつ)て終日食(しゆうじつく)らわず、終夜寝(しゆうやい)ねず、以て思う。益無(えきな)し。学ぶに如(し)かず。」。
生知(せいち)、生まれながらにして知る、と言われている孔子でさえも、寝ず、食わずに考えたことがあると思っただけで愉快ですし私には勇気が湧いてきます。論語はリアルな学問だといわれる所以ですね、非常に人間的です。
意は「孔子言う、私は嘗て一日中食事も摂らず、一晩中寝もやらずして、専心に思索をめぐらしたことがある。しかしその結果は結局何の得るところもなかった。自分の心に求めて考え思うことも大切であろうが、それは人に学び聖賢に学んで、他の多くの知識を得て事をなすに及ばない。」と。
為政第2、15条には「学びて思わざれば則ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。」と言い、学と思とが人間の修養上二つの工夫が大事であること説いていますが、ここでは学を強く勧めています。
なぜこのようなことを孔子は説いたかと言いますと、学ぶことの嫌いな人の為と優れた人の為この二者のためです。勉強が嫌いな人は思うことばかりで人に学ぶことをしないため得ることが無く。また優れた人は己を信ずる思いが強くこれまた人に学ぶことを軽視する傾向があり悩みに陥るからです。
両者は思うだけで学ぶことをしないために得ることができないことを気づくべきだと孔子は言うのです。
この二つの面は誰にでもある部分です、事によっては教えて貰いたがるが、事によっては聞きたがらない、教えて貰いたがらず、学びたがらないという面は誰にでもあります。この両面の意識を注意しなさいというのです。孔子とは何と親切なのでしょうか。
いずれにしても、思うばかりで学、行動がなければ停滞し破滅に向かうということです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。