おはようございます。

CMA主催「管理職研修」にご参加の皆さんありがとうございます。幸い月曜、新たな意識でチャレンジください。事上磨練(じじようまれん)、実践でしか磨かれないのが人生、失敗あってこその成功、ご精進ください。
今夜は「にんげん学」京都講座、京都地区の皆さん会場でお待ちしております。古典、心学を学ぶのは「賢者は歴史から学ぶ」「古を鏡とする」ということです。
「古を鏡に」。
私たちが迷うとすれば、善し悪しや上下、美醜等々でしょう。このように相対的な観方をしていながらも確かに相対的な観方ができていないのも事実です、いわゆる「井の中の蛙」に陥るからです。周囲に偉大な人がいるにもかかわらず、少しのことで慢心を起こしてしまう。
古語に「已(すで)に死するの物は、方(まさ)に生くるの用を為し、既(すで)に過ぐるの事は、将(まさ)に来たらんとするの鑒(かん)を為す」。意は「すでに死んでしまったものが、現在生きている者の役に立ち、過去にあったことが将来の役に立つ」。
唐の太宗という高名な皇帝は重臣の死を惜しみ「銅を磨いて鏡とすれば、衣服や冠の乱れを直すことができ、古の出来事を鏡とすれば、世の盛衰を知ることができ、人を鏡とすれば自分の行いの善悪を知ることができる。いま魏徴(ぎちよう)が死んで自分は一つの鏡を失ってしまった」といって嘆いたと「十八史略(じゆうはちしりやく)」に書かれています。
過去に学ばなかった例として、次のような話が身につまされます。
「夏(か)の桀王(けつおう)は妹喜(まつき)という美女に溺れ、酒池肉林の贅をつくして亡びている」。次の「殷(いん)の紂王(ちゆうおう)は妲己(だつき)という美女の歓心を買うため、やはり酒池肉林の遊興、はては炮烙(ほうろく)の刑を設けて王の行いに反対する者を火あぶりの刑に処した」。
これを諫めたのが西伯(後の周の文王)。その諫め文句が「殷鑑遠(いんかんとお)からず夏后(かこう)の世にあり」(殷の王者がかがみとすべき先例は、なにも遠くに求めることはありません、夏の桀王を思い出せばよいでしょう)であった。
しかし紂王は聞き入れず、六百年も続いた国を失っています。
また、「史記」の著者司馬遷(しばせん)は楚の項羽を評して「数百年の間稀にみる大人物であるが、指導者として欠ける点があった。われとわが功を誇るあまり、自分一個の知恵に頼って歴史上の教訓を学ばなかったことである」と言っています。今夜は一緒に学びましょう。人間は私を含めて自惚れるものです。心の鏡は大事です、用心、用心。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。