孝と老

おはようございます。

M&Uスクール受講生の皆さんありがとうございます。大切なお休みの中学んでいただき感謝いたします。私も皆さんをお手本として己を磨くことに一層精進します。修己治人(己を修めることが人を治めることになる)、これが王道、己を修めることを常とすれば他人様と対する時は必ず慎みの心を失わずその関係は良い方向となります。来月もお待ちしております。
「孝と老」。
今日は「敬老の日」、敬は昨日も書いていますが、事を成す基本。先人を慕う、敬する。他人様を敬し、慎んで対することは何をおいても大切なことです。敬う心に理屈はいりませんし、子供を守るのも理屈は要しません。ですから孝と老の底辺にある意識は同じです。「おいがしら」の中が「子」と「ヒ」の違いだけです。
「おいがしら」とは頭のことです、行動意識に何を置くかということです。基本と対を為すのが行動意識です。基本意識と行動意識は両輪でなければ物事が上手く進みません。
誰しもが自身が一番大事であることはいうまでもありません。だからこそ周囲の人からのアドバイスや助言、注意の言葉を素直に聞き入れることが大切となるのです。親しい仲であるからこそ互いを尊重する意識が「敬」であります。その意識が孝となり敬老となるのです。
老は「子を抱く姿」であり、孝は「年老いた両親を背負う姿」であります。親は子供を懐に入れ育て守り、子は年老いた両親を背負い守る。敬の心で素直に日々暮らすことで時節が来たれば親となっても自然子を守り育み、子は年老いた両親を見れば素直に背負い守るようになるのです。
いずれにしても敬愛は大事、人生の基本。敬愛の行動をとるのに理屈は必要無いのです。尊敬心の無い心は自己否定であり、他を否定することを日々行っているのです。幸せを願っているのであれば先ず敬することです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。