回帰

おはようございます。

今日から秋の彼岸。迷う此岸の現在から覚りの彼の岸、現在世界へ、また今世から来世、今日から明日という意味を持っているのも彼岸。過去・現在・未来と続くことは自然の習い、決してこれは変わることはありません。真理が変わることの無いことに私たちは感謝すべきです。だからどっしりと構えていられる。
私たちが心変わりをしても真理は決して変わることなく今ここに存在している。故にどんなに迷い惑ったとしても「基本、根本に帰ればいい」のです。我を張らず素直に従うことで大いなる人生の生成進化がある、それが春秋の彼岸。
「回帰」。
お彼岸はご先祖様への供養を特に大切にすることです。なぜなら先祖を離れて私の今は存在しないからです。大木が大木になる理由は「根がどっしりと大きく張っていること」。因みに根の大きさと高さは同じ。つねに根本的在り方をしていれば、現実がいくら騒いでも、重厚で沈着、軽々しく騒がない。それほど根が大事だということです。足下を見よ、とはよく言われることです。自分が立っている所以、理由を確かにすれば一日の予定の順序が確かにできるのです。あわてない、あわてない。
それを出来るようになりますと、社会に於いての順序次第が直感的に察知し、仕事の応対に漏れを無くす。いくら才能、知識、技術があったとしても現場での実践対応はその場で瞬時にしなければならないのです。
私の一日は先ずこの世界に入る動機付けとなりました伝教大師様が19才時に起こされた発心の声明文「願文(がんもん)」を拝読することから始まる。私の初発心(初心)を忘れないため。そして持仏の「観音様」を拝礼する生家が観音様がご本尊。そして私の信仰仏「金港辯財天」さまへのお勤め、そして皆様におあずかりしておりますご先祖様並びに私のご先祖様へのお勤め、最後に「水子地蔵」さまへのお勤めと、一日がスタートします。
日中座は「護摩修法」を勤め、夕座はご本尊様とご先祖様への感謝のお勤め、これが一日の基本、根本。愛宕寺でも大凡は同じ事。
朝に一日の決意を固めスタート、信者さんの相談、研修、その他人々にお会いして考えも及ばない想像も出来ない新たな出会いや問題に遭遇、そして一日を終え、原点、基本、根本に戻り静かに反省してその対処法をチェックする。この一日が明日への糧となり肥やしとなる。
このような在り方で46年。お陰様で少し根を大きくし、枝葉も少し伸ばすことができました。初発心、ご先祖様を基本に、根本を忘れず、一日の出来事をご先祖様、基本、根本に報告し反省することで変わることなく今日までこられたのです。
基本、根本を日々起点としてスタートすれば迷い惑う人生などは考えられないのです。頭の中に幾ら知識としてあったとしても、また体に技術があったとしても現場ではどのような対応するかはその時々によっては違うものです。だからこそ原点に帰ることが大事です。原点に帰るということは未来が確かに頭の中に在るからです。一日を振り返ることのできない人は明日という日、未来という世界が無いとも言えます。
ご先祖様に感謝し、基本、原点への回帰は日々の経験、体験という肥やしを根っこ、根本に施す事、故に根がしっかりと張ることになり、幹もがっしりとして、騒々しい現実から学び、栄養として、肥やしとすることで年々生長し安定した年輪を重ねることになる。
先祖供養をして何になる、などとうそぶいている人は最も身近な人を大切にしていませんので、同士はできず、継承者もできず、独り善がりの人間には仲間もできず。他人様を必要とせず、信頼できない人はいつまでたっても協力者は現れないのです。
本への回帰がなければ継続がないのが真理であり、道理、自然は回帰して生成を為しているのです。
明日は愛宕寺「秋季・彼岸法要施餓鬼会」です。午前10時からです。どうぞ感謝の法要、繁栄の法要をご一緒ください。皆様のご家庭、会社のご安泰があります。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。