明智

おはようございます。

愛宕寺「秋季・彼岸法要施餓鬼会」おまいりいただきありがとうございます。これからも、どうぞご先祖様に感謝する日々をお過ごしください。「暑さ寒さも彼岸まで」、善く言ったものです。この言葉も先人からの言い伝え、教えです。
言い伝えや教えは何か問題があったからこそ、わが子を思い、家族を思い、子孫を思い言い伝え、教えになって来たのです。神経質になることはありませんが、大切であることは間違いがありません。
よくこのようなことを話される方があります。自分でやっているからお寺に供養など頼む必要はない、月命日参りなども必要ない、という事をおっしゃる方があります。自分でご先祖供養を行うことは当然のことです。しかし、これは誤った考えです、自分で行う功徳と、寺に頼む功徳とは違うのです。しかしこのことは二元的な価値ではありません。自身と寺に頼んで行うことで「一対、両輪」なのです。一対「陰陽和合がなければ」次はないからです。
自分の力だけというような考えからは「次はない」のです。自分の力だけでよいというような考え方は「我欲の塊、我利我利亡者」です。このよな考え方の人は、自分に都合のよいことでは人の協力を欲しがるのです。しかし普段が普段ですので、自分の事しか考えないことが周囲には見え見えですので、頼んでもそっぽを向かれるのがオチなのです。
明智(めいち)」。
物や地位を欲しながら、思うようにならないのは、形にとらわれているからです。拝む形、祈る形、私と一般の人たちとの相違は形から見ますと、着ているものが違っているくらいで、形は同じです。
上手になりたいのに教えてもらいたがらない、立身したいのに師をもたない、このような方は多勢おられます。それは、見たらすぐできると「錯覚」している人たちです。ですから、このような人は、習う人、学ぶ人に追い越されて、いつしか取り残されてしまうのです。
すべて、形を見ているからです。形を見ている人は必ず内心ではこのように思っているのです、「自分にもできる」です。これを「慢心」といいます。自惚れの多い人は、自尊心を勘違いしている人です。
私は「温故知新」の人生を送っています。なぜかと言いますと、歴史を見れば「歴史を作った人、事を成した人が」明らかだからです。「自分以外我が師なり」という言葉もあります。
道理に従うことを「明智」というのです。いくら才能が内在していたとしても「明らかに見る目を持たなければならない」のです。我欲や慢心で「目がくらんでいたのでは見えないのが道理」です。
暑さ寒さも彼岸まで、とは目覚めたとき、苦しさから解き放たれることをもいうのです。
明智とは「善い人は善くない人にとっての学ぶべき師となり、善くない人は善い人にとっての反省の助けとなる」のです。「人の振り見て我が振り直せ」これを明智に従うというのです。
ところが形しか見えていない人は「その師たるものを尊敬せず、その助けとなるものを大切しない」。このようであってはどんなに知恵があってもひどく迷う人生とするだけなのです。従うことを是としない人の末路は悲しい孤独が待っているのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。