唱念

おはようございます。

祈りの功徳、効用というのは少し違うとは思うのですが、解っていただくために敢えて効用と表現します。
人生は惑い迷います。苦しみも悲しみもあります。又ある日災難がふってくるときもあります。それを忘れろといっても記憶の彼方に運んで行くにも時間はかかるのが現実。私も修行はしても生身の人間、ですから正直いろいろと傷つくときはあります。そのような心理状態のときどのようにして乗り越えているかということを書きます。
「唱念(しようねん)、称名(しようみよう)」。
私は日々お経をお唱えしています。そして御仏の名もお唱えしています。これが「唱念、称名」です。それも一人でお唱えするときは「微音」でお唱えします。微音は大音となるからです。微音でお唱えしますと「心中に気がいっぱいとなる」のです。
そのような心理状態になりますと「暗心が取り除かれる」のです。いわゆる心の動揺「不安が消滅」するのです。また気が一杯になるということは「悪気を一杯はき出す」ことになるのです。
不安の心になりますと、人間は自ずから「暗心」を抱くようになる「鬼が住む」のです。いわゆる「ま同じような悪いことが生じないか」という「疑心暗鬼」です。いくら良い展開をねがっても、この暗心、疑心暗鬼の「鬼、汚心」を消すのは容易ではありません。容易ではないので、無くす、消すのではなく、パワー、力と変えるのが「唱念、称名」です。
陰は陽へと転じるのです。陰から陽へ、このリズムは変わりません、しかし陽の胎動を内なる世界で起こさなければ、いつまで経っても疑心暗鬼は続くのです。
暗心は妄心を生みます。そして道に迷い込むのです。暗心だけにして、道に迷い込んでしまったのでは、どんどん深みにはまってどうすることもできなくなるのです。
ですから唱念、称名を何度となく繰り返し、様々な現実をパワーに変えてきたのです。皆さんの中に何か疑心暗鬼に執われているようでしたら、是非寺に来て修行をしてください、無心に唱える唱念、称名のパワーが迷いを栄養にします。
真実の夢を持っている人は、道を聞けば素直に従う、何かよいことあったらいいなあ〜と少し考えている人は、知るだけで行動はしません。愚かな人は馬鹿にします。
気休め、という言葉がありますが、これはとても大切なことです。最初は気休めにやってみるか、くらいの気安さで始めるのもいいことです。そういう余裕、空間、間があるからこそ「安気が入ってくる」のです。目標に迷わずに真剣に向かっているから疲れるときもあります。
目標を見失わず、道に迷わないから「ゆったりと休むべき」です。そしてまた歩く。その安心を与えるパワーが唱念、称名です。
一生懸命に働いてるつもりでも、心に余裕がなければ、仕事も何も入ってくる道理はないのです。おわかりでしょうか?。毎日救われ導かれている私です。現実の中でいろいろなことと遭遇しそこで心が騒ぎ踊る、しかし唱念、称名することで迷悟の世界を振り子のように言ったり来たりしながら、少しずつブレが少なくなって来ました。
さてお祈りを始めますかな、よいしょ、最近この言葉が多い、元気印の私が何としたことか。
皆さんも心が騒いで仕方がないという時は是非一度修行にきてみてください、回を重ねて修行している中にホットする自分と出会えますよ、

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。