恥を知る要

おはようございます。

私たちが事を成したいと考えながら、成せない理由の一つに「恥を知らない、恥を忘れる」ことが挙げられます。何かに失敗したりしてその時は恥ずかしいと感じても一過性としているのです。一事が万事で、喉元過ぎれば熱さを忘れるではないでしょうか。
また敬する心を持ちませんと、恥ずかしいという気持ちも起きません。人を敬してこそ知識も技術も習得しようと思うのです。また知識を得るということは行動が前提であり、事を成すことにあります。いわゆる言行一致するためです。ただ知ることを多くしたのでは、口だけが達者になり、それこそ信用ならず、嫌われる人間性を形成してしまうのです。
「恥を知る要」。
言志録に「立志の功は、恥を知るを以て要と為す」と。意は「志を立てて成功するには、恥を知ることが欠くことのできない要件である」というのです。
如何ですか皆さん、恥、廉恥心をどのように考えていますか。中国に「会稽(かいけい)の恥」の故事があります。
中国の春秋時代、呉王の夫差(ふさ)と越王の勾践(こうせん)は長きに亘って争っていました。はじめ呉が破れ、夫差は薪(たきぎ)の上に寝起きして復讐を誓ったのです。これを知った勾践は機先を制すべく攻めました。しかし、結局は破れて会稽山に逃れたが包囲され、ついに降った。
この条件が領土を捨て、妻を差し出し、呉の臣となるというもので最大の恥であったのです。
この会稽の恥をそそごうとした勾践は、苦い胆(きも)を嘗めて執念をかりたて、ついに呉を亡ぼしている。「会稽の恥」のいわれです。「臥薪嘗胆(がしんしようたん)」という言葉はここから生まれました。
これは小さな恥、人に気づかれそうもない恥でも自分の恥と重く捉えると大きな効果をうむものだ、という故事でもあるのです。
太田道灌という武将の有名なこんな話もあります。太田道灌が狩りに出て夕立にあい、粗末な一軒家に入り、雨具のミノを借りようとした。すると一人の娘が、山吹の花一枝を無言で差し出した。
道灌にはその意味がわからず帰城して尋ねると「七重八重花は咲けども山吹の実の(簑(みの))一つだに無きぞ悲しき。」
山吹には実がならないのを、ミノがない、にかけた和歌であることがわかった。道灌は学の足らなさを恥じて和歌の道にはげんだということです。
私も比叡山から下山後は一人の信者さんもいなかったので、坊主のくせに香華もお供えすることができないという恥ずかしさを感じていました。それで夜は昼の余りと考え恥を忍んで、というよりも働くことは美しいことだと考え、香華を購うため夜トラックに乗り運送のアルバイトをしてお給料をいただき、香華を購うこと一年。
アルバイトの仲間に剃っている頭を見られて、あなた普段何をしているんだ、と聞かれ、坊主ですと答えると、へー、坊主がアルバイト、と失笑されました。
何かを為し結果を得るに「準備」の大事をその時大いに知りました。準備がなければ事が出来ず結果は出ないことを恥ずかしい思いをして、思い知ったのです。準備は人間性の確立、知識、技術の確立です。
知識を得たくらいではダメ、その知識を生かすための準備がなければ知識を生かし使いようがないのです。そのための基本が人間性を磨くことです。
知らなかったからと一過性にして恥じないようでは立志の功はなりません。恥を知る心が強ければ強いほど、憧れが強くなり、伸びようとする力も強くなるのだということを私は実感しています。今でも周囲の優れた人たちを見ていると恥じ入るのです。そして、尊敬の念が湧き、よしがんばろうと奮いたつのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。