今が

おはようございます。

月末はやはり諸行無常を感じずにはおられません、毎月いろいろな人との出会いと別れ、何度経験することでしょう。そのたびに一喜一憂してはならないと思いつつも・・・。
風のように来て風のように去る、人は旅人。私はその代表かもしれません、故郷を出て以来ずっとさすらっている。西に東に一時の間、とどまり、時には人の心の中にじっとして甘えたいときも。しかし、じっとする、甘えるとは、どのような事をいうのだろうか、とふと考えるときも。やはり仏の前で静かに祈るときが一番心と体が休まっているのかもしれません。
孔子は「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず」と、日々教えに導かれています。お釈迦様は法灯明、自灯明とも。
「今が」。
どこにいくのだろう、どこにいるのだろう、と思うときもある。唱念し無の心になり、いろいろな人と出会う、そして心の中に絵が描かれるように温かい気持ちになるときもあり、寂しくなるときもある。又その残像が心地良い余韻、虚しい余韻にも。
そしてまた唱える、色即是空、空即是色、羯諦、羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提娑波訶、般若心経。
そしていつも言い聞かせる、今現在居る所が真実、今立っている所が己の立つ場所と、そう思えることがどれほど幸せなのだろうかとも、何も考えずに、何も思わずに、祈る。
その時々の悦びや悲しみは天がくだされたご褒美、だから心から悦び、心から悲しむことができるのだとも。そんな中でいっぱいいっぱい、他人様に支えられ、助けられてきました。いつも共に居てくれる人がいる。何一つ支えることも、与えることも、助けることもできない私に仏の道がある。
何物かを手に持ち触れたとき、持ったとき触れたとき感触は確かなのに、去ってしまう、消えてしまう、思い出して、思い出そうとしても、何も感じない、思い出せない、あせるときもある。確かにこの手で掴んだのに、執着心、欲心がやはり虚しい気持ちにさせるのだろう。
秋風が立ち、月末、何か体の中も風が吹いたようです。今月のご愛読ありがとうございます。今夜は満月、台風が心配です、今朝も雲ってお星様もお月様も拝めませんが、お月様に手を合わせ感謝します。今月のご愛読ありがとうございます。
明晩は「にんげん学」京都講座、京都地区の皆さん灯火親しむの候、ご一緒に学びましょう。悲しみや、苦しみを知れば知るほど学ぶ素晴らしさを知り、思いやりは不安を抱かせず、勇気を失わせません。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。