活動

おはようございます。

昨日の宇治はお昼前から雨が次第に強くなるにしたがい風も強くなり、被害が心配でしたが、宇治は何ともなかったようです。皆様の所はいかがでしたでしょうか、お見舞い申しあげます。
台風一過、十六夜の月が雲間から見え隠れしています、昨日の心騒がせる嵐の後、見え隠れしながらお月様は優しく微笑んでいるように感じ、心が安らぎます。
10月、神無月、神が居ないときこそしっかりと(人が見ていないとき)、「小人閑居して不善を為す」となりませんように、この世に神なんかいるものか、などとそんなお粗末なことを言っていたのではよろしくありません、神様はいます(あなたの心の中に)。今月もよろしくご愛読ください。
仕事が増えることはどなたも考えることでしょう。しかしただ単に楽をしたいと考え、閑居して不善を為す、いわゆる人が見ていないとサボるという方もおられます。欲だけが勝っている人は結果だけ望むあまり、準備を怠り、予習を怠り仕事が増えません、仕事がないときにこそ錬磨、学習、祈り自ら輝くことが肝要。ではどのような人がよい結果が後からついてくるのでしょう。
「活動する」。
以前小学校などで朝礼で貧血となり、バタバタと倒れるということがありました。ですが、登校中にバタバタと倒れるということはないのです。両者の違いは一つだけです。後者は動いているが、前者は動かない。
コマは回っている間、あたかも生きもののように立ち上がったまま動き続けるが、止まったと同時にただの物体として倒れてしまいます。人生もこれと同じようなことがいえます。
志を立て、夢を持ち身近な世界からことを始め、事を成そうとする人は、じっとせずに、知識を高め、技術を磨き、人格形成のための修練をし、とにもかくにも先輩、上司、お客様の言葉を頼りに真っ直ぐに行動し、己を磨くのです。
己の価値観を高め、志を達成しようと日々行動する人は、最初はその存在感を他者に認めてはもらえませんが、自身が自身の存在を確かにしていますので、いつの間にか知らず知らずの中に、その存在を他者に知られるようになるのです。
天地自然の中で風の動き、空気の動きが私たちには見えずとも、その存在が在る故に、その存在が多くの生命を生み出しているのは事実です。
他人様が人の存在を気づく以前に、自身が自身で存在を確かにして活動することで、その活動が存在を生み出すのです。ですから「閑居してはいけない」のです。これは停止した状態であって、ただの物体にしか過ぎないのです。ただの物体にはよほどの人でなければその存在に気づくはずもないのです。
人間のパワーは存在以前の意識のパワー、力、真理を信ずる信力のパワーが大事です。それ故に存在としての活動が価値を持った存在として変わるのです。
人は人によってその存在を顕わにします。私の目の前に居る人は私にとって掛け買いのない人であると私自身その存在を確かにしたからこそ今日の私がいることを信じています。
何の価値も、存在も知られていないときにこそ、自身が自身の存在を確かにする。それでこそ他人様は認知するのです。今夜は「にんげん学」京都講座、京都地区の皆さん会場でお待ちしております。
にんげん学は「間(ま)の学」です。知識の学ではありません。知識はいつも書いていますように「条件学」です。どんなパソコンでもソフトの条件に合っていなければパソコンが役に立たないように、知らない価値観と出会ったとき、人として知らないと反応できるかどうかが「間合い」なのです。知識は有為の行動、自分の狭い価値観の行動。
知識学に偏っていますと、優れた人と出会ったとしても縁とできません。観て見ず、聴いて聞かずとなるのです。スペシャリストになるなかれ、ゼネラリストたれが「にんげん学」であり「大人の学」であり「リーダー学」です。
志を持ち、学を信じ、存在が知られていない時、内なる創造的衝動に揺り動かされ、我を忘れて没頭してしまう無為の時、脳は弛緩し、超感覚的活動となって大いなる存在と化していくのです。小さい己の知識をひけらかすような学は捨て去ることです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。