競争しない

おはようございます。

今朝は誠澄に甘え朝寝坊。「にんげん学」京都講座ご出席の皆さんありがとうございます。最近日本の内外ではいろいろな防衛問題が浮かび上がっています。昨日の「老子」第三十一章、「兵は不祥(ふしよう)の器(き)」として、武器は「不吉な道具」であるから、常識を持った人間は使うべきではなく、誰もが嫌うはずだ、という教え。しかし、どうしてもやむをえずに使用しなければならないとなれば、執着を持たずにあっさりと使うのが第一で、勝利を得てもりっぱなことではない、と教えています。
それをりっぱなことだと誉めそやすのは、つまりは人殺しを楽しみとしていることだ。そもそも人を殺すことを楽しみとするようなものでは、世界じゅうを支配したいと考えても、無理な話であるとも、そして、そんな国や人は尊敬もうけないのです。
「競争しない」。
人に勝つため、ライバル会社の上に行くためという思考は「滅びへの道」を歩むのと同じであることをしらねばなりません。
向上したいという考えならば切磋琢磨(せつさたくま)という精神が「繁栄の道」を歩むことになります。ライバル視しては精神が不安定となり、静かで澄明な心で学ぶことはできないのです。
ではなぜ勝つためや、ライバル心が破滅の道となり、切磋琢磨が繁栄の道となるのでしょうか。勝つためや、ライバル心は、先ず心が狭い意識からくるものだからです。いわゆる全体を見ず、部分的なところでの「勝ち負け」にこだわり、視野狭窄に陥っていて、そのような思考から学んでも、自分では進んでいるように考えていても、実はどんどん後退しているのです。このような人は自分の学びは理解できても他人様の精進や努力は考えられず、他人様も日々努力しているのだ、という現実が見えていないのです。
一方切磋琢磨する人は、切磋琢磨という意味を身体から理解していますので、素直に物事に対処していくのです。切磋琢磨の意味は「「切」は刻む、「磋」はとぐ、「琢」は打つ、「磨」はみがくの意で、骨・角・石・玉などを切りみがくこと。みがき上げて細工すること」から人間修養の要道としたものです。
物事によって磨き上げていくことが違っている、ということです。これは人間観察する時に大いに生かされるのです。直線的に何事も磨き上げられるものではないことを教えている言葉でもあるのです。物事のできる人は往々にして豊かな感情を持っている方が多く、負けん気も旺盛それが感情論に走ってしまうという欠点でもあるのです。
ですから他人様を見る場合、競争意識やライバル心からは見てはならないということでもあるのです。切磋琢磨という言葉一つ身心から理解できれば真の精神と為すことが出来、他人様を見る目、社会を見る目が大いに違ってきます。大きい視野を持ち、自分の今現在在る才能を起点として、社会の優れた方を沢山認め、それをきっかけとして切磋琢磨すれば末広がりに広がり繁栄の道を歩むこととなるのです。競争意識は破滅の道を歩むことになることを知りましょう。
「にんげん学」をご一緒に学んでください。人と人の間を「つなぐ間」、それが「にんげん学」です。明後日4日(木)は一宮、来週9日(火)は大阪、12日(金)は東京、26日(金)は小倉と今月の予定です。
写真は昨夜の懇親会での「洋食・ぼんじゅーる」さんの第一品目の「長野産、黒毛和牛のカルパッチョ」です。後の三品は「スズキのホイル包み。大海老のからしマヨネーズ焼き。愛媛産、黒毛和牛、イチボのステーキ」でした。マスターごちそうさまでした来月もよろしく。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。