大道を歩む

おはようございます。

「祈り」や「にんげん学」を修めるのはなんのためかといえば、大道を歩み安心して人生を楽しく過ごすためです。人生「広く歩きやすい道を歩く」ことが一番。いわゆる平らで平凡な道です。平凡な道とは目の前のことに人事を尽くす、尽くすことで朋ができ、学ぶ楽しみが増え、僅かな飲食や遊びに満足し、共に人生を歩み、遊ぶ朋を多くする事です。切磋琢磨し、心から分かち合い遊べる、それを仲間、同士というのです、これが平凡な道を歩くことで与えられるご褒美。それを教えてくれたのが祈りであり、にんげん学。
「大道を歩む」。
大道を歩めば平坦で歩きやすいのに、世の中の多くの人は小道を歩こうとしているように見えなくもありません。どういうことかと言いますと、身近で大きな道「仁道」があるにもかかわらず、難しい勉強をしなければ楽しい人生がないのだと感じているように思えるのです。
思いやりの大道は何も新たな知識を得てからでなくても歩めます。目の前の人を思いやって必要であれば学べばいいのであって、それを何か資格を取って、認めてもらってからでないと人生は切り開かれないと考えている人が多いように見受けるのです。
そんなことをしていたのでは何回も生まれ変わらなければ時間が足りなくなります。真から必要と思えないものを学ぶから続かない、それはそうでしょう、おもしろくないのですから。
大道というのは、分相応に暮らし、必要な事を学び、そして周囲の人の為に生きる、それは自分に必要なことであって、他人様から強要、必要とされることではないのです。
自分が歩むために必要だと思ったとき、他人様に必要と必然的にされてしまうのです。それは楽しく明るく暮らしているからです。
お金がないと、地位がないと、着ていく洋服がないと、家には何々がないと、と小道を考えているようでは人生真っ暗闇の道を歩んで行くようなものです。必要と感じず、ただ漫然と幸せになりたいと知識を詰め込んで、仁道という大道を在ることを知らず、評価を待って一生を棒に振るような小道を歩んではならないのです。小さな道(知識)を歩めば分かち合うことをせず、奪うことばかり、小賢しい欲望に陥るようになる。そんなことでは楽しい人生など有り得ないのです。
大道は「信」を起点としています。学びの道は本来「皆を幸せにする道」なのです。それを自分だけのものと愚かにも考え、先まわりしようと脇道を歩んでしまい、そして小道と為す。
歓喜の心で祈り学ぶこと。それが大道。そして与えられた仕事をこれまた歓喜の心で行うのです。己が喜べば人様も大いに喜ぶのです。共存共栄がなければ繁栄など有り得ません。
今夜は「にんげん学」一宮講座、平凡で楽しい人生とする素晴らしい語との出会いです。会場でお待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。