つながる

おはようございます。

心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」おまいりありがとうございます幸福でした。皆様の祈りで護摩の炎が一段と美しく感じました。金港辯財天様は福禄寿を与えてくださいます。だから私は月次祭を「幸福開運祭」と読んだのです。
金港辯財天様はご存知のように「水の神様」。「水」は誰にでも必要であり、万物を育み、決して上に立たず、下につきます、がしかし下に位置するからと言って「水」を粗末にしたりは誰もしませんし、そればかりか大切にさえします。それは言葉を換えれば「魅力がある」からといってもいいでしょう。
「つながる」。
魅力はどこから生まれるのでしょうか。どんなにまじめでも、どんなにお金持ちであっても、その人自身が幸せでなかったら、人はその人に魅力を感じないのではないでしょうか。
人に感化を与えられる人は、自らがあふれるほど幸せであるものです。どうしてこんなに毎日が楽しいんだろう。楽しくてしかたがないという人は、必ず、それが、外にも表れるのです。
そうして多くの人が、その開放的な魅力に引きつけられるのです。高い幸福感が人を引きつけ、人を幸せにし、あるべきポジションにその人を位置づけさせるのです。「多幸感がすべてとつながり合っている」のです。
そのことを「辯財天信仰」が教えてくれました。「辯財天様」は「美人の代表」といわれています。そのお姿、お顔は優雅で優しく微笑んでいるから美人の代表と言われたのです、いわゆる「愛嬌がある」のです。美人を鼻にかけていない、謙虚なのです。その謙虚も水のようにサラッとしている、だから魅力的なのです。
教えを疑わず、イキイキと明るく楽しく私は日々過ごしています。外にある特別な知識や技術を持ったわけではなく、内在している「心で感じ」日々楽しく過ごし多くの人と出会い様々なポジションを与えていただきました。それ故に幸福開運祈願祭と名づけたのです。
魅力を出せない人は「事を為そうと為そうと作為的に、まだかまだかとつまらなそうに日々を送ってチャンスを手に出来ない」のです。私を見ろ、私を見よなどと考えている、恣意的な人に魅力的な輝きなど出るはずもないのです。
比叡山下山時、物質的に豊かではありませんでしたが、心の中は教えを日々実践することで楽しくて楽しくて仕方のない日々でした。もちろん今でもそうです、今はそれにプラス「にんげん学」や小さな白い玉を叩くこと、各地でのぶら和尚の幸福感があります。いつの間にか白い玉を叩く仲間やぶら和尚の仲間がこれまた増えました。
禍(わざわい)は福の倚(よ)る所、福は禍の伏(ふ)す所という言葉もあります。災禍があればそこに幸運もよりそっており、幸運があればそこに災禍もかくれているのです。この循環のゆきつく果てはだれにもわからず、だからこそ禍福はあざなえる縄、表裏と考え達観し、日々楽しくコツコツと分相応に過ごすのです。
人生苦しんでチャンスは得られませんよ、楽しくない人に人は寄りつかないのです。明日は「にんげん学」大阪講座。これまた楽しく勇気をいただく言葉が満載。会場でお会いしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。