一歩ゆずる

おはようございます。

昨日の帰り新幹線の車窓から拝みます富士のお山は薄雲に化粧されて何ともいえない味わいだなあ〜と思いつつ拝んでいますと、富士橋の手前から再び拝みますと頂上付近に雲の輪がかかったような珍しい富士のお山を拝むことが出来ました。青山元不動(せいざんもとふどう)、どっしりと構えておれば、どのようなことでも外から見ると風情、味となるということなのでしょう。動じない自分で在りたいと反省しました。
「一歩ゆずる」。
自分の考えを持つということは大切です、それを他人様に押し付けますと争いが生じ、事が進まなくなるのです。それは他人様を否定しているということでもあるからです。人生は以外と狭い道を歩んでいるのです。先日のハイキングも山の上り下りも、どこを通ってもいいのですが、やはり他人様の通った足跡をたどることが一番楽なのです。
ところが急いだり、体力に任せて道なき道を道として歩もうとして歩めないことはないのですが、その先にどのような事が待っているか分かったものではありませんし、やはりより以上の辛さが生まれるのは間違いはありません。
人生もこれと同じで、知力、体力の差は必ずあるのです。しかし人生は長い、登りが楽であったからといっても、下り坂にさしかかったときは楽に乗り越えられるかは、これまた分かりません、人生登るときもあれば、下るときもあり、双方大事であるのです。
否、下り坂、仕事が暇になったときいかに対するかが大事なのです。人生も山登りも「狭い道」を歩んでいるのです。時には追い越されたり、追い越したりもあります。後から早い人が来たら「譲れば」いいのです。そうすることで少し休憩も出来て、じっくりと観察も出来、自分の道を歩む姿勢の参考にも出来るのです。
狭い道では一歩自分が下がって、他人様を先に通してあげましょう。長い目で見れば道を一歩譲ることなどは、たいしたことはないのです。日常の仕事や生活は狭い道を歩んでいるのです。会社でも家庭でも「ゆずりあってこそ」です。
自分の知力、体力に執われてしまえば、状況判断も出来なくなり、争わなくても良いことで争ってしまい、結局は何もならないのです。何もならないところか破滅が待っているかも知れないのです。
私たちの人生の道は公道であり、私道ではないのです。譲ったり、譲られたりです。愚かな執着心を捨てるべきです。
写真は新幹線の車窓から撮りましたバーコードのような雲、私の中にいつも計算する意識があるから雲も、計算を捨てよと見せてくれたのかもしれません。今日も皆様にとり素晴らしい一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。