一つの

おはようございます。

先日の長瀞ライン下りを体験して右左の岸(苦楽)に惑わされなければ目標の場所に着くことが出来るのだという事を改めて体感。川下りを体験し、このようなことを思いました。
よく勉強しているのに人生上手く行かないという人がいます。これらの人を見ておりますと、右左の岸(人の言動)にとらわれすすめなくなっているのでは、と。
「一つの事柄」。
人生の道を歩むのに、あれこれと知る必要性はないのです。ただ「一つの事柄を明らかにする」ことを尊べばいいのです(ポストにベストの覚悟)。一つの物事が本当に明らかになれば、あらゆる道に通じることが出来るのです。
ただあれこれと理屈を並べ立てていたのでは、この世の中で最も知るのが難しい道理は、議論に強く、雄弁な人の勝ちになってしまうのではないでしょうか。
今年もあいにくの天候でしたが誠澄先達で富士登山を行いました。一昨日もその勇姿を拝みましたが、富士山の登山口は一つではありません。河口湖口もあれば、須走口、御殿場口とさまざまです。しかし、どこから登ろうと、最終的に到達するのは頂上です。
逆から考えれば、頂上に立ち、そこから山を下りるとなると、さまざまなルートを見つけることができるのです。必ずしも、一つや二つではないのです。
人生もそれぞれの頂点を目指しているのです。人を知る者は智、自分を知る者は明です。人生を勝ち負け対立、相対的に捉えている人は、人に引っかかり、物事にひっかかり、ちっとも前に進めないのです。それは人と争っているからです。
それは欲です。いろいろな登山口があるのです。何も人の事を心配せずともいいのです。それよりも参考、お手本にすれば引っかからず、自分の道を歩めるのです。
明とは素直な心でもあります。素直な心とは「寛容にして私心なき心、広く人の教えを受ける心、分を楽しむ心」です。
せっかくの知識、それを活かすことのできな人は「欲心(人に勝ちたい、人に従いたくないという無意識)」があることに気づくべきです。今日も皆様にとり素晴らしい一日でありますよう。
 
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。