短所

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございます。論語も最終篇、堯曰(ぎようえつ)第20に入りました。論語20巻全てをもうじき終えます。しかし「心学」を修めている方は「知りて知らずとするは上なり。」を知っています。いわゆる、まだまだと考えることが慢心を起こさない、謙下、謙譲の心、低んずることこそ何事も大事です、慢心、増長するなかれです。
「短所」。
先日から長所を友として、短所を友とするな、ということを書いています。短所の無い人はおりませんが、短所を少なくする心がけは必要です。その心がけの第一が「知っていても知らずとすること」です。
自分でよくわかっていても、まだじゅうぶんにはわかっていないと考えているのが、最もよいことなのです。人と争うのは言葉でです、現実に物事が出来ていれば言葉の争いなど起きようもないのです。人との和を大切にして力を合わせなければ行けないのに、その逆をやるということは、真に知ることを理解していないのです。
これに反して、わかっていないくせに、よくわかっていると考えているのが、人としての短所です。
自分の短所を短所として自覚するからこそ、短所も少なくできるのです。ですから先ず、わかったとは安易に思わないことです。孔子は弟子の子路に「知るを知ると為(な)し、知らざるを知らずと為す、是れ知るなり」と教えています。
しかしこれでは足りないのです。まだまだ、という考えが新たな発想を生み学ぶ意欲を生むことになるからです。ただ単に知る、知らないを知っただけでは、ただ単に合理的に物事を知っただけで、そこで終わってしまうのです。知るために知ることもありますが、知るとは、思考の方法を知ることが本来なのです。仲間内で自分が知識を豊かにしたからといってそこで満足してはならんということです。井の中の蛙大海を知らず、となってしまいます。
ここまで深めていかないと、つまずいたり、問題が生じたりしたとき、知っているのに、なんで出来ないの、という疑問を作り、知っても無駄だと、学ぶことを否定、拒否してしまうという大問題にもなってしまうのです。
このようににならないためにも、まだまだ、と考えられるようになるす。
写真は小倉駅前を飾る光のページェント、そして「お多幸」さんの美味しい料理、一品目は「もどりがつをのたたき」二品目は「ぶたの角煮」、三品目「かんぱちのかまの揚げ出し」、そして最後は名物の「おでん」でした。マスター今回も腕をふるっていただきありがとうございます。来月も楽しみにしております。料理の写真は一品目は載っておりません。二品目と三品目です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。